「めんどうくさい」のハードル
自分自身すんごいめんどうくさがりであると自負しています。
一日着た上着を、「ハンガーにかける」という行為がめんどくさくて部屋の地べたにポイってしちゃいますし、マンガを本棚から出したのに読んだあとしまわず、いつしか部屋はぐっちゃぐちゃなんてこともざらにあります。
でも、それが最近すんごい減ってきました。新居にうつって2ヵ月以上が経つのですが、部屋はけっこうキレイな状態を保つことができていますし、地べたに転がっている服や本の数も、ゼロではないにしろ少なめです。
上着をしまったりっていう行為に対する「めんどうくさい」って気持ちは以前と同じように持っているのですが、めんどうくさいとは思いつつもハンガーに上着をかけて、クローゼットにしまうって行為をできている自分がいます。
なんでか。
ほかにもめんどうくさいことがたらふく増えたことが、かえって些細な「めんどうくさいこと」をなくすことにつながってるっぽいです。
やらなくちゃいけなくなった”家事”
家事ってほんとめんどうくさいですね。昨年末まで実家に暮らしていて、家事の類いをほぼまったくしたことがありませんでした。のうのうと暮らしてたわけです。
でも、新生活が始まり、家事の多くをしなくちゃいけなくなりました。毎食後の食器洗いや、日々の洗濯物を干す、たたむ、しまう。毎週2回のゴミほかしだの、トイレ・洗面・風呂掃除。
どれもが「あぁ、めんどくさいなぁ」って思っちゃうものばっかりです。でもやらなくちゃえらいことになっちゃう。だからやらざるを得ない。「めんどくさい」なんて言ってらんない。
結構なめんどうくさいことを以前と比較にならないほどいっぱいやっています。これがなかなか功を奏している感じがするんです。
家事などの大きな”めんどうくさい”をやることによって、上着をかけるなどの小さな”めんどうくさい”をさほどめんどうくさくなくさせてる感じです。
今までとことんめんどうくさいを避けて避けて通ってきましたが、めんどうくさいをめんどうくさいと思いながらもこなしていくのって、逆に「めんどうくさい」のハードルを下げることにつながっていそうです。
「めんどうくさい」を避けてばかりいる事なかれ
めんどうくさいことからとことん逃げていたときは、めんどうくさいことをすることによってあんまりめんどうくさくならなくなるなんて思っていませんでした。めんどうくさいもんはめんどうくさい。そんなんやらずに済むならせんでいい、と。
だからほんの些細なことさえめんどうくさく感じて、ちょっとしたことも行動に移せず、ほったらかしにする。日常の多くのことに対して、こんなスタンスをとっていたように思います。
それでいいと思ってたんですが、今思えばやっぱりまずい考え方です。
めんどうくさいことを避けるばかりに、些細なことさえめんどうくさいと感じ、本当はやるべきことに対しても「めんどうくさい」って気持ちが出てきちゃって結局やらない。で、貴重な時間をグータラ過ごしちゃう。
そんな事態を引き起こしていました。
それもこれも、めんどうくさいを避けていたばかりに。
今はかなり視点が変わって、めんどうくさいことを避けてばかりいるのはあんまし良くないことやって思っていますので、すぐやってしまおうって気持ちが強いです。それがなかなか良い感じに毎日をまわしてくれてるように思います。
おわりに
生活の変化は、自分自身にも大きな変化をもたらします。めんどうくさいことを避けられない状況に来て、やっとめんどうくさいことをやるようになったら、逆にめんどうくさいことをやるのって大事やなって思っているのが現状です。
もちろん省くことのできる無駄なものは省いていきます。そういう点で、「めんどくさっ!」って感じる心は大事やと思います。が、やるべきことは「めんどうくさい」と思ってばっかりいないで、ちゃっちゃとやってしまおうって思える自分になっています。
この自分が長く続くかはわかりませんが、悪い変化ではないよな、と思ってるので、今後も「めんどうくさい」に対するハードルは下がり続けるんではないかなと思います。
では、お読みいただきありがとうございました。