【数学雑記】「見えない」ことの壁
ぼくは、高校までの数学を勉強する目的の一つは「論理的思考力を養うため」だと思っています。つまり、脳みそをムキムッキに鍛えるために数学はあるということです。
ただ、その主張はいささか頼りないものがあります。
なぜなら、論理的思考力は"目に見えない"からです。
「見えない」ことの壁
RPGのゲームみたいに、ある程度数学を勉強し、経験値を積むたびに軽快な音楽が鳴ってレベルが上がり、「論理的思考力:145→160」のように現れるのであれば、何も難しい話はないのですが、実際そんなことはあり得ません。
では、数学を学ぶ方々に、自分の脳みそが鍛えられていく実感をどう味わってもらうのか。これはとても難しい問題です。正直、未熟なぼくは「これ!」といった方法をもちあわせていません。
「問題ができたから」「テストの点数がよかったから」でははかることができないものなので、数値化することも困難です。
また、脳みそが鍛えられていく実感というのは、短期間ではとうてい得ることはできません。継続的に学んでいかないことには、思考力というのはついていきません。思考錯誤を繰り返しながら進んでいく根気が必要になってきます。
そうなると"楽しむ気持ち"がないことには、続かないのはそれこそ目に見えています。
というか、とにかく楽しんでほしい
教える立場にあるぼくにとっては、数学は「生徒たちの思考力を伸ばすもの」なのですが、生徒たちも数学を同じようにとらえる必要はまったくありません。
とにかく「数学は楽しい。おもしろい。」と思ってくれさえすれば。
確かに「なぜ数学を勉強するのか?」という疑問を持つ生徒はいるでしょうし、それが明確でないために数学を勉強しなくなってしまう生徒もいるかもしれません。そんな生徒に対しては、教える立場にある方は、はっきりと自分の考えを述べることができる"数学とは"を持っておく必要があります。
でも、楽しければ「なぜ数学を勉強するのか?」という疑問も持たず、「数学楽しいし勉強しよう。」になると思うのです。
そのためにも、数学の楽しい、おもしろいところを、これからも全力で探していこうと思います。
おわりに
ぼくが感じるおもしろい、楽しいと思うところと、他の数学を学んでいる友人がおもしろいと思うところは、全然違ったりします。それだけいろんな楽しみ方があるということなので、ぼくがまだ気づけていないおもしろさ、楽しさはわんさかあるはずです。
こんなところも楽しいよね、おもしろいよね、と思うことがあれば、ぜひ教えてください。
では、お読みいただきありがとうございました。