数学に「ひらめき」は必要か


よく数学にはひらめきが必要だと聞きます。何か解けなかった問題があったときに、解説を聞いて「こんなんひらめかんわ」という言葉をよく耳にします。
はたして、数学にひらめきは必要なのでしょうか。

大学の数学

一応ぼくは大学で6年間数学を学びました。そこで出会ったのは、想像を超えることばかりでした。数多くの定理や証明を学びましたが、多くのひらめきや天才的な発想なくしては成立し得ない世界でした。
定理やその証明は論理的な考察の結果なのですが、無駄を排除し、論理を突き詰めているのが大学で学ぶ数学であると言えます。ぼく自身はひらめきなんて一切持ち合わせてはいませんが、大学で数学を学ぶことによって、自分の論理的思考力は1段階も2段階もレベルアップした実感はあります。
数学の世界を開拓していくためには、「ひらめき」はまぎれもなく必要であるといえます。

高校での数学

では高校数学ではどうでしょうか。結論から先に言いますと、高校数学には「ひらめきは全く必要ない」です。

■主要科目である数学

数学は高校で必修科目とされ「英国数」と主要科目の一つにも挙げられます。それは数学が高校において重要な科目の一つであることを示しています。
そんな数学にひらめきが必要であるとするならば。
問題を解けるか解けないかは、ひらめくかひらめかないかの二つに一つとなってしまいます。手がでない者にとってはまったくもっておもしろくなく、嫌いな者は嫌悪して止まない対象となってしまうでしょう。そしてひらめく力というのは学ぶことはできません。いつ何時現れるかわからない、つかみ所のない存在です。
そんな学ぶことの必要性の感じられないものを、高校において主要な教科の一つに挙げるわけはありません。

■脳みその回路作り

「論理的思考力を養う」ことが、数学を学ぶ大きな理由の一つです。はじめは自分で論理的に考えていくことは難しく、そのため問題の解答を読んだときに「こんなもの思いつかんわ」という感想をもつこともあります。でも、「思いつかない、ひらめかない」で片付けるのではなく、その解答の合間合間に隠された「なぜそうするのか?」を追う必要があります。まずは裏に隠された論理を追い、理解することが大切です。それははじめからなかなか一人でできることではありません。教える者が手を引いてあげ、学ぶ者の「論理的に考える脳みその回路作り」を手伝う必要があります。

おわりに

高校数学には「ひらめき」は必要ありません。論理的に考えることが必要です。そしてそれは訓練することで身につけることができます。数学を学ぶことで、「ひらめき」というつかみ所のない頼りないものに頼るのではなく、「論理」という地に足をつけて一歩ずつ考え、進む力を養っていきましょう。
では、お読みいただきありがとうございました。

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