書評を書くということ


当ブログでは「書評」が一つのコンテンツとなっております。
以前のぼくは、1冊の本を読み終えるとそこでおしまい。次の本を読み始めるということを繰り返していました。メモもとらず読んだら読みっ放し。
今のぼくから以前のぼくへ一言送るとすると、「このバカ野郎!」です。

書評から得るもの

読書は、新たな情報を得る一つの方法であると同時に、自分の思考を刺激する行為でもあります。本を読むことによって、あれやこれやと考える機会を脳みそに与えています。「あれやこれやと考えたこと」を放ったらかしにしたまま次に進むなんて。なんて愚かなことをしていたのか。

■メモすることは必須すぎる

「あれやこれやと考えたこと」は自分にとって最も重要なことであると言えます。
そして考えたことというのは、驚くほど儚いもので、頭からすぐに跡形もなく消え去ります。
本を読むと書評を書くと決め、1冊につき一つのエントリを書くようにしていますが、読み返してみると「こんなこと書いたっけ?」と思うことがしばしばです。書評を書くという行為を経ていてもそこまで忘れるので、読書中にメモも取らず「あれやこれやと考えたこと」を放ったらかしにすれば、そんなものなかったに等しい存在となるでしょう。読んだだけでは限りなく無意味に近いと、そう思います。読書中に考えをメモする。これだけでも大違いです。

■整然と並べていく

ただそれではまだ頭の中が整理されておらず、むちゃくちゃな状態で情報や考えたことが存在している状況です。

ざんねんながら、人間の頭のなかというものは、シリメツレツなものである。知識やイメージが、めちゃくちゃな断片のかたちでいっぱいつまっていて、それが意識の表面にでてくるときも、けっして論理的なかたちで整然とでてきたりはしない。

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それらを整理していく作業が、「書評を書く」という行為の一番の目的です。
本を読むことで思考を刺激し、本の内容に自分の考えを添えて一つの文章を作り上げていく。
そこまでしてやっと「読書」という行為の意味を大きくすることができると思うのです。

おわりに

最近はただ読書をするだけでは達成感というか、「読んだー!」という充実感を感じません。その本の書評まで書いてさっと1冊の本を読み終えたという気持ちになります。
読むスピードも遅く、書評を書くのにも時間はかかりますが、「読書」のもたらす効果を最大限引き出していきたいと思います。
では、お読みいただきありがとうございました。

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