書評を書くときに大切にしたい一つのこと


本を読むという行為によって新しい情報を手に入れる、インプットすることができます。そしてインプットした情報はアウトプットにつなげてなんぼです。情報は自分の思考を経てこそ価値が出ます。そしてそういう意識でいることが、インプットを充実させることにもつながるのです。

アウトプット優先でなければ、インプットも濃密になりません。

読書においては、「書評を書く」という行為が本から得るものを最大限引き出すことができるとと思うのです。
書評を書くということ

書評を書くときに最も大切にしたいこと

それはずばり「主役は書き手である」ということ。

■本が主役、ではない

「○○を読んで」というのは、主が本の方にあるからなのです。本に読み手が呑まれてしまっている感じが伝わってしまうタイトルです。

そうではなく、もう少し気楽に考えていいのです。「書く」ということはとにかく書き手が主役なのです。

書評を書くということは、読書中は読み手であったものが書き手になるということです。そうなるとどうしても読み手の立場から文章を書くことになり、本を主役にしてしまいがちです。本の「まとめ」に終始してしまったり、自分の意見、色が出せずに終わってしまいます。
それではもったいない。冒頭でも述べましたが、情報は自分の思考を経てこそ価値が出ます。本を読み、書評を書くのであれば自分の考えたことをふんだんに盛り込んでやるほうが、それを読む方にとっても一つの新しい意見に触れることができるので、文章も引き立ちます。

■自分目線でとらえる

作品をどう読み取るか、どういう意味を感じ取るかという、読み込みの角度を決めるのは、あくまで読み手である私たちです。

自分の感じるままに本を読み、それについて文章を書くときも自分が感じ取ったことや自分の意見、解釈を述べればいい。そうすることで自分というフィルタを通し、自分の思考を経た独自の書評が完成するのです。そしてそのほうが書評を読む方にとっても楽しめる文章ができあがります。

解釈は結果的に間違っていてもいいのです。…結論に向けての根拠として、それらを無理矢理でも糸でつないでみるのです。間違った解釈であっても、それはそれで力技として非常におもしろいものになります。

文章は焦げ目をつけておいしくする【書評】人を動かす文章術でも触れましたが、無理や歪みがありながらも結論に向かって文章を展開していくことが文章をおもしろくする一つの手法であり、また自分という個性を表現することにもなります。あくまでも書き手が主役であることを自覚し、自分色を文章に盛り込んで行くことが大切です。

自分の論を展開するのは難しいときもある

とはいえ自分があまり知らない分野について最初から自分の意見を盛り込んだ文章、書評を書けといわれても少々無理があります。なにせ論を後ろ盾するための知識がないのですから、自分という個性を表現することもできません。

■自分がどう変化したのか

その本からどのような刺激を受け、それによって自分の考え方がどう変わったのか、その部分をテーマにするのです

そんなときは無理して自分を出す必要はありません。自分の"変化"を書けばいいのです。そうすればあくまでも「書き手」が主役の書評が出来上がります。また、まだその本を読んだことがない人にとっては、その書評が「自分もこんな変化をすることができるのかも」と本から何が得られるかの参考になります。

おわりに

書き手が主役になる。これは簡単なようで難しいことです。ぼくも今まで書いた書評を見返してみると、本のまとめをしただけのものや、単なる紹介に終わっているものがほとんどです。でもこれからは意識して「自分」を出していくことによって、自分の考えを固めながら、でも柔軟に他の意見を取り入れながらおもしろい書評を書けるようになって行きたいと、そう思います。
では、お読みいただきありがとうございました。

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