数学は学ぶ者のなかにある【書評】数学でつまずくのはなぜか(その2)

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「数学でつまずくのはなぜか」の書評というかそれ読んで考えたことその2。

「その1」はこちら。
「数学嫌いをなくすための二つの主張」は数学嫌いをなくせるのか【書評】数学でつまずくのはなぜか(その1)

本書では、「まえがき」にこんなことが書かれています。
「どうやったらこどもたちに上手に数学を教えられるか」ということを書いた本ではない。どちらかというと、「どうやったらこどもたちから数学を学ぶことができるか」、それを書いた本である。
こどもたちの「わからない」をみつめ、そこから数学を学んでいく姿勢、この視点。数学を教える立場にあるものにはなくてはならないものだとぼく自身自分に言い聞かせています。そんなぼくにとって本書から多くの示唆を得ることができたのは、至極自然なことだったのかもしれません。
まえがきはさらに続きます。
現在の数学にはその傷としての「でこぼこ」がまだまだたくさんあって、それで人は足をとられて転んでしまうのだ。数学につまずいたからといって、それはあなたの落ち度ではない。それは数学に「でこぼこ」があるせいなのだ。けれどその「でこぼこ」は、数学の人間臭さだから、あなたはひょいひょいとかわして歩く必要はない。転んだら、立ち上がればいいし、何度も転ぶならそこだけ迂回して進めばいいと思う。
数学を学ぶ方に言いたいこと。それは、完璧を求める必要なんてまったくない、ということ。どうしても、何度考えても理解できない部分や、何度もつまずき、間違えてしまう部分があっても一向にかまいません。それは、学び続けることによっていつしか理解できるようになります。自分の中の数学がどんどん育って行くに連れて。
どうしてもわからないなら、わからなくて数学を嫌いになってしまうくらいなら、そこはいったん置いといて、次に進めば良いんです。
一方教える立場にある自分が思うこと。それは、数学というでこぼこな道に、キレーに線路を引くのが教えるものの役目ではないということ。でこぼこで学ぶ者が足を取られそうなところを把握し、そこをある程度"均す"ことが、教える立場にある者の役目。学ぶ者が自分の足で歩むサポートをするのが仕事です。
この"均す"作業をしようと思ったら、学ぶ者がどこにつまずくのかを知る必要があります。その答えは教える者が持っているのではなく、学ぶ者が持っています。教えるものが考えてひねり出すよりも、実際に学ぶ者がつまずく姿を見て、そこから教える者が学び、均していかないといけない。そう思っています。

数学は学ぶ者のなかに

本書を読めば、著者は「数学をこどもたちから学ぶ」ということを貫いていることがひしひしと伝わって来ます。どの章においても、こどもがつまずくのはどんな点なのかを仔細に語ってくれます。これはとても参考になるとともに、自分も今よりさらに心がけなければいけないぞ、という気持ちにさせてくれます。

おわりに

教えることによってほんとうに多くの学びを得ます。わかっちゃいるけど、絶えず教える立場にいる者は、それを忘れがちになります。どうしても「私が教えているんだ」という気持ちになったりします。そうなってしまうことがとてもこわい。
本書を定期的に読み返すことによって、常に教える立場にあるもには本当は教わる立場にあることを自覚しながら成長して行きたいものです。
では、お読みいただきありがとうございました。

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