”記録”について考える【書評】人生に成功をもたらす日記の魔術

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日記を書いていますか?書いた日記を読み返していますか?

本書を読んで、改めて記録の大切さについて考えさせられました。

”感想”は書かず、書くのは”行動記録”

日記と言えば「一日のできごとと、その感想」を書くイメージがありますが、本書では「はじめに」の部分で
日記に「感想」を書く必要はない。
と述べています。感想ではなく、何をやったか、つまり「行動記録」を書いていくことを進めています。それは日記を書く目的を「自己管理」と位置づけ、”記録”をつけることがそのためには必要であると考えているからです。

特別支援教育における”記録”

ぼくが今携わっている「特別支援教育」では、生徒について”記録”することはとても大切なこととされています。それは、支援するためには子どもを”知る”ことが必要不可欠であり、知るためには日々の記録がとてつもなく重要な意味をもつからです。
■子どもを”知る”
特別支援教育においては「教育的ニーズ」と言われていますが、障がいのある方のものの見え方・捉え方・理解の仕方などは、少し違ったりします。そしてそれは子ども一人ひとりに個別のものです。なので大切なのは「私たちにはこう見えている」というのは置いといて、「その子どもにはどう見えているのか?」ということを常に考え、理解していく必要があります。その際、子どもの状態や様子について「記録」をとっておくというのは重要であり、記録を読み返すことで子どもを深く知り、理解していけるのだと思います。その理解が、子どもへの適切な支援へとつながり、成長を促していけるのです。
■次の方に伝える
そして記録は、その子と関わる次の担任の先生や、卒業後の進路先の方に子どもについて伝えるときにも必要となってきます。

”子どもを知る”ということは短時間で成せることではありません。毎日毎日関わっていくなかで、理解してはまた違う面が見えてきたりと、ある日一気に「わかった!」となるものではありません。保護者の方とも連携をはかりつつ、教師間で意見を交わしつつ少しずつ知っていくことができるものです。学校では担任を持つのはたいていは1年間なので、1年かけてようやくわかってきたなぁというときに担任が変わる、ということもあります。そうなるとまた次の担任の先生ははじめから子どもの理解をしていかなければなりません。そんなときにちゃんとした「記録」が手元にあり、子どもについて今まで見てきた担任が次へと伝えることができれば、子どもにとっても保護者の方にとっても次の担任にとっても良いことです。

そんな理由から、特別支援教育において「記録」はとてつもなく大切であると考えています。

記録の対象を「自分」に

日記を書いて行動を記録していくということは、その記録の対象を「自分」に向けるということに他なりません。ということは上に倣えば、「自分を知る」こと、「将来の自分に伝える」ことができるということです。
■自分を知る
私たちは他人の心を知ろうとするとき、その人の言動を観察するではないか。それと同じことを自分に対してもすればいいのだ。
自己を管理し成長に向かうためには、自分を知り、適切に自分を支援する必要があります。そして自分を知るためにすべきことは、子どもを知るためにすべきこととなんら違う点はありません。日々の記録をしっかりととっていく。そしてそれを読み返す。そういったことを自分に対して行っていけば、地に足の着いた”自分”を知ることができるでしょう。
■将来の自分に伝える
記憶というのは、いいかげんなものだ。本人も意識しないうちに「すり替え」が起こる。
しっかりと記録を残しておけば、その「すり替え」に対抗することができます。いいかげんな記憶にばかり頼っていると、良いように改ざんされてしまいますし、そうなると自分を知ることにもつながりません。将来の自分に今の自分を正確に伝えるためにも、記録は重要です。書き記し、読み返す。この2つがワンセットになることで将来の自分に伝えることができるようになります。伝えることで反省点や改善点、はたまた成長のあかしが見えてきて、次の一歩へと進むことができるのだと思います。

おわりに

日記を書いていく中で重要なこと。それは「楽しむ」ことです。これは筆者も本書の中で繰り返し述べています。記録していくことを楽しむ。読み返すことを楽しむ。なんでも継続的に取り組むためには「楽しむ」ことは必要不可欠ということでしょう。「楽しみ」を多く伝えられる教師、そんな存在になりたいものです。

では、お読みいただきありがとうございました。

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