「断捨離」の「離」!〜「不思議なくらい心がスーッとする断捨離」を読んで学んだこと〜
モノを最大限に活かすためには、「今、それが必要かどうか」という時間軸が大切「捨」において、今自分が持っているもの一つひとつに対して、「今」それが自分にとって必要なのかを問い、「断」では手に入れたいと思うモノに対して「今」それが自分にとって必要なのかを問う。それを繰り返していくことで、自分が管理できる量のモノたちを精選していきます。するとそれは「離」に近づいていく。
断捨離の「捨」→「断」ときまして、本日は「離」についてです。
「断」と「捨」が「離」につながる
「”今”それが自分に必要かどうか」という問いを繰り返すということは、「自分」と「モノ」との関係性を意識し、より明確にしていくということです。「捨」で見過ごしていたものを意識する。「断」と「捨」で”モノを厳選するセンサー”は磨かれ、「捨てる/捨てない」、「いる/いらない」の判断が素早くなり、自信を持って決断することができるようになります。”セール”やら”限定もの”やら”10個でいくら”やらで、お店側は購買意欲を沸き立てようとしますが、”モノを厳選するセンサー”が磨かれていれば大丈夫。そんなうたい文句たちに踊らされることなく、「必要なモノを、必要なぶんだけ」自信を持って決めることができます。つまり、”モノ”へ執着しないようになるということ。「離」を身につけた、「断捨離」の完成です。
「断」でモノとの関係性に気づく。
この「意識化」と「気づき」は、いわばモノを厳選するセンサーを磨くトレーニングです。
モノ捨てたら困っちゃう?
少し気になってしまうのは、「そんなにモノをなくして、困ってしまうことはないのか?」ということ。ながーく使っていなかったものでも、ある日不意に必要になり、「これ置いといてよかったー」と思ったことは一度ならずあると思います。そんなうまくいった経験があるもんだから「捨てたら困らないか?」という考えにとらわれてしまい、結局なかなか捨てられないことになるのもわかる気がします。でも、「こうなったらどうしよう?」と考え、身構えてしまうからないと困るのではと言う不安要素が出てくるのではないでしょうか。「備えあれば憂いなし」と言いますが、断捨離では「備えるから憂いが来る」と考えます。断捨離はじめのとき、ぼくは誤ってクレジットカードを捨ててしまいました。「しまったー!!」と一瞬は思ったのですが、よくよく考えるとそれほど必要でないものだと思い、再発行ではなく解約することにしました。捨てちゃってかえってよかったです。案外、捨ててしまって「しまったー!!」と思っても十分に対応できる範囲のことがほとんどだと思います。
憂いが来るかも...と思っているから、本当にそうなるのです。どうせ備えるなら、「憂い」ではなくて、「希望」に備える方がずっと愉しいもの。
「なくて困らないか?」という考えは、モノにとらわれているからくるもの。モノへの執着から”離れる”ことこそ、「離」には必要です。
「離」とはモノに執着しないこと
「いつか使うかもしれないし」や「安いからとりあえず買っておこうかな」という考えは、”モノ”に執着しているから生まれます。捨てられない、欲しくなる。執着するからモノがいっぱいになり、あふれかえってしまう。自分の中のモノへの執着を取っ払う必要があります。「断」と「捨」で自分の周りのモノは減り、その過程で次第に執着をなくしていく。「離」は、この状態を保てるようになることと言えます。そして自分の周りから「いらないもの」「必要でないもの」がなくなり、厳選されたモノたちばかりになると心がスッキリしていくようです。環境が人に与える力というのはなかなかものすごいので、部屋がすっきりすると心もスッキリするという考えは、説得力があります。
スッキリした環境が、スッキリした心を与えてくれるのだと思います。
おわりに
かくいうぼくもまだまだ断捨離途中。「断」「捨」「離」をすべて実践できている、というわけではありませんが、少しずつ部屋の断捨離を進め、モノにとらわれない、スッキリした心を手に入れようと思います。なによりぐちゃぐちゃの部屋をはやくどうにかしたい。がんばります。では、お読みいただきありがとうございました。