数学嫌いに”パラダイム転換”を起こしたい。
数学嫌いは、多い。
好きなぼくからしたら「なんで?」と思うこともあるが、でも確かに嫌われる理由もわかる。現に、高校に入ってから2年の後半になるまでは、ぼくもさほど数学が好き、というわけではなかった。でもあるとき、数学の見方が変化して、数学に対する意識がガラリと、変わった。パラダイムの転換が起こった。
パラダイムとは?
大辞泉によると、パラダイム【paradigm】とある。それを「七つの習慣」という本では個人にあてはめて、「世界を見る見方」「認識、理解、解釈を決めるもの」と定義されている。今回はこの意味で”パラダイム”という言葉を用いていきたい。
- ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み。規範。「企業は新しい―を必要としている」
パラダイムは行動や態度の源となり、
私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままに(条件づけされたままに)世界を見ているとあることからも、まずはパラダイムを変えていかないと見方が変わらず、数学に対するあり方も変わってこない。
数学嫌いのパラダイム
数学が嫌いな人に数学の悪口を言ってもらうと、簡単にいろんな言葉がポンポンポンッと出してもらえる。おもしろくない、難しい、やって意味あるのか?。。。その見方が数学に対する姿勢を決め、取り組まなくなり、取り組まないからできなくなる。そして好きになれず、できないから嫌いになり、また取り組まず、、、嫌いの悪循環に陥ってしまう。そこをなんとかしなければ、断ち切らねば。断ち切るためには、”数学嫌い”という見方を変える、パラダイムを転換していくことが絶対的に必要になってくる。変えるのは”おもしろさ”だと思う。
自分のことを考えてみると、おもしろくなければほんと真剣に取り組まない、というか取り組めない。この一年間、よく研修というものに行かせてもらったが、その中の”講話”というものがまぁおもしろさを感じることができず、身が入らない。はじめは「今日は聞くぞ」という気持ちで臨むこともあったが、回を重ねるごとにそんな気持ちもなくなってしまった。自分の中で、「講話=おもしろくない」というパラダイムができあがっていたのだろう。話に身が入らないのは自分でもどうかと思うが、なかなかどうにもしようがない。■”メリット”だけでは続かない
研修、そしてその中の講話は、まず間違いなく自分にとってプラスになる。新しい知識を得ることができるし、それは無知な自分にとっては願ってもないこと。他の方との意見交換では、自分とはちがった考えに触れることができる。メリットを多く感じる。でも、わかっちゃいるけど”おもしろくなさ”が勝ってしまう。考えるに、”メリット”はプラスαな要素なのだと思う。”メリット”単体では物足りない。まずは”おもしろさ”。”おもしろさ”に”メリット”が加わることで、より強力な、パラダイム転換を後押ししてくれるものになる。
”おもしろくない”を”おもしろい”に
数学はおもしろくない。そう感じている人にこそ、数学のおもしろさを伝えていきたい、というか伝えられるようになりたい。おもしろき こともなき数学を おもしろくである。数学好きには”ある程度満足”、数学嫌いに”大満足”してもらえるような、そんな授業を展開できるようになりたい。それはどんなものなのかわからない。けど、いろいろと試しながら、目指していきたい。
おわりに
「iPhoneと本と数学となんやかんやと」という名前の本ブログ、メインに据えたいと思っているのは実は数学なのだが、油断すると”なんやかんやと”についてばかりになってしまう。それはそれで、ちゃんとブログを続けることができているので良いかなとも思うが、もう少し数学についても触れることができるよう、がんばっていきますのでよろしくお願いします。では、お読みいただきありがとうございました。