ぼくの中の数学を形作ってきた、印象深い思い出たち

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これまで25年間えっちらおっちら生きてきました。生きてるといろんなことがあります。でも、基本的に記憶しておくことが苦手な僕は、あらゆることを忘れていきます。というか、忘れていってると思います。自分でもビビるほどです。それでも、やっぱりすんごく印象深いことはずっと覚えてるわけで。

数学と接する中でも、記憶にいつまでも残っているとても印象深い出来事ってのはあるわけで。もしかしたらそういう深く記憶に刻まれていることが、ぼくの中の”数学”を形づくてるんではないか、と思うわけです。

小学校4年生

だか5年生だか忘れましたが、授業内で行う演習の時間、ドリルを早く終えた何人かは、先生に丸付けをしてもらったあと、先生の代わりに残りのみんなの丸付けを任される、というのがありました。そのころ丁度そろばんをならっていて、文章題は苦手なものの、計算だけは早かったぼく。ちゃちゃっと終えて、丸付けの役目を先生から指名されるわけです。それがうれしかった。で、ぼくの後に計算をし終えたみんなの丸付けをしながら、質問にも答えながら問題について教えたりもしたり。その役割がすごし好きだったように思います。”教える”のが好きになったきっかけの出来事だったのかもしれません。

小学校6年生

だか中学校1年生だか忘れましたが、そんときにも印象的なことがありました。そのころ、塾に通っていました。ある日数学の授業の時間、先生が何気なく問題を出しました。一本の直線を引き、「この直線から3cmの距離にある点を作図してみ」とかなんとか言いました。で、せっせととりかかるぼく。で、丁度できたころに先生がぼくのノートを見て驚きはったんです。「おおー、すごいぞできてる!」と。そのあとこんなことを言うてはりました。「今まで毎年問題出してたけど、今まで自分で解けたやつおらんかった!」と。これ、真偽のほどはわかりませんが、こんなん言われたらものすごい嬉しくないですか?

ほかにも解けている子は、そのクラスにはいたとは思いますし、過去にも解けた人はたぶんいると思います。先生がほんまのことを言っているのかはわかりません。でも、そんなことはどうでもよくて、とにかく「今まで解いたやつおらんかった」って言われたのがうれしかった。ただ、図形は、その頃も今もずーっと苦手なんですが。

高校3年

このとき、数学の支障と出会いました。中学までは得意だったものの、高校に入ってからは難しさについていけず、どうひいき目に見ても得意とは言えなくなっていた数学。そのとき、今も師匠と慕う先生と出会いました。先生は、ふらふらーっとぼくのもとから離れていってしまった数学を、またぼくのもとに引き戻してくれました。

先生の、「なぜ?」を追求するそのスタイルに、ぼくは感激しました。解法暗記に偏りつつあったぼくの中の数学を、定義を押さえ、定理を理解し、それらの道具を使って考えていく数学に塗り替えてくれました。これはなかなか革命的な出来事で、今でもぼくの中にはその数学が根ざしていますし、数学を教える時の基盤ともなっています。思えばそのころ、数学教員になりたいと決意したように思います。

だからなに?

いくつかの印象深い出来事。それ以外にも何かしらたくさんあったはずですが、あんまし覚えていません。ただ、3つの印象深い出来事を思い返して感じるのは、認められた思い出は深く深く心に残る、ということ。そんな、数学が心に深く深く残るような、そういう一言、出来事を届けることができればな、と思います。それができたら、ほんとに万々歳です。なかなか狙ってできることではないかもしれませんが、数打ちゃあたるでがんばります。

では、お読みいただきありがとうございました。


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