”生き残った”習慣、”淘汰された”習慣、”新しくできた”習慣
12月初めに生活が一変し、今は1月が始まって一週間経ったところ。ようやく新生活のリズムが掴めるようになってきました。
身の回りのことをなんでもやってくれた実家から出て、新居に住みはじめ、パートナーと歩み始めました。
当然今までの生活とは何から何まで変化するわけで。
生活の変化は、今まで築き上げた”習慣”たちにも大いに影響を与えてくれます。これはあたりまえのことで、生活のリズムも変化しますし、今までのようにのんべんたらりんとは過ごすことができません。
一日の習慣のラインナップがガラリと変化することとなりました。
今まで通り続けることができているもの、続けることができずになくなっちゃったもの、新しくできるようになったもの。
そんな習慣たちに目を向けてみることも、今後何かを習慣化していくためには必要なんじゃないかなぁと思います。
生き残った習慣
生活が一変しても、必ず生き残る雑草のようにたくましい習慣ってのがあります。「歯磨き」であったり、「お風呂」であったり、「一日三度の食事」であったり。生きていくうえで、やらずにはおれないもの。そんなやつらは、習慣として根強く生き残りよるんですね。
「歯磨き」しないと口の中が気持ち悪い。そのまま放っておくことはなっかなかできません。虫歯になったらああ大変で、あのイヤなイヤな歯医者に行くはめになっちゃいます。
「お風呂」に入んないと、今度は身体がなんとも気持ち悪くなってきます。臭くもなります。これは結構なダメージです。
食事は生きるうえで必須ですが、一日三度である必要はないけど、やっぱり三回たべちゃう。根強い習慣です。
”生きていくうえで、やらずにはおれないもの”は、やっぱり生き残りよりますね。
淘汰された習慣
”自分のために身につけてきた”習慣は、生活が一変したことでまるっまるできなくなっちゃいました。早起きだの、ブログの更新だの、朝起きての数学の勉強など。やっぱり何年も何十年も続けている習慣に比べると、続ける力が弱いのかやらなくなっちゃいます。
生き残った習慣と違い、やらなくても別に困らないというのも習慣が崩れてしまう大きな要因の一つですね。
自分の成長には一番重要で、もっとも続けたい習慣とはわかっていながらも、生活リズムが崩れてしまうと、ものの見事に崩れてしまった悲しい習慣たちです。
新しくできた習慣
淘汰された習慣があるにもかかわらず、新しくできた習慣もあります。というか、新しくできた習慣が今までの習慣を圧迫してもうて、続けられなくなった習慣ができちゃったんでしょう。どんなんが新しくできたか。
それは、食器洗いとか、洗濯やらです。実家で暮らしていた頃は、ほんとになんにも手を付けていなかった家事の一端をやっています。
なんで新しく習慣化できたのか。
”ちゃんとしないといけないぞ”という危機感が、習慣化を後押ししてくれているように思います。なんもせん亭主なんて、愛想つかされちまいます。そうなるのはほんと絶対に何がなんでもごめんなので。
優先度を高く設定し、一日のうちに必ず家事の時間を設けていることが、習慣化へとつながっています。
おわりに
結論的には、”自分のために身につけてきた”習慣ってのは、一旦習慣化できたと思っても、大きな変化に対応するのは結構なかなか骨の折れることなんとちゃうか、ということです。”自分のために身につけてきた”習慣は、やらなくてもその時はダメージもなけりゃ、「やらなきゃやばい!」って危機感も感じることができないものが多いもんです。
よほどのことがなければ、”顔を洗う”だの”風呂に入る”だののレベルまではもっていけない。なかなか脆いもの。
だから、生活の変化やらなんやらで習慣化できそうでできなかったとしても、「あぁー、習慣化できたと思ってたのに、やっぱりあかんかったー」って落ち込むんでなく、また次の一手を考えれば良いじゃんと、そんな気楽に考えていこうかなと思います。
失敗してもなんのその。
もっかいやってみればいいんですから。と自分を慰めつつ、また淘汰されてもた習慣たちをもっかい蘇らせるべく頑張っていきます。懲りません。
では、お読みいただきありがとうございました。