思考の”持久力”
最近よく考えることがある。それは、”思考の持久力”なるものについて。
大きな3段の階段
一段一段がとても大きな3段の階段を考える。別に3段である必要はこれっぽちもないが、とりあえず今回は3段ということにしておこうと思う。
一段がとても大きく、のぼるのにすんごい苦労して、息ぜぇぜぇなって一段のぼったあともう一段行くぞという気にはなかなかならないような、そんな階段を想像してみる。
そんな階段が3段ある。となると、一気に3段の階段をのぼることはかなり難しい。
易しくのぼるためにはどうするか。
2つのアプローチを考えてみたい。
■1、段を低くする
一段がとても大きいので、その段をトンカチかなにかでドスンドスンと何度も叩き、低くすると、当然のぼりやすくなる。段が低くなると、一段一段に使う労力が少なくなる。労力が少なくなれば、一気に3段をのぼることも可能になってくる。
■2、1段のぼってもへっちゃら!な体力をつける
段を低くせずとも、1段のぼっても全然平気な体力をつける、というアプローチもある。1段をのぼる労力は変わらずとも、のぼっても全然疲れないのであれば、段をわざわざ低くしなくても一気に3段をのぼることも可能になってくる。なにが言いたいか?
ここまできて、2つのアプローチがいったいなんだって言うのか?他にも方法はあるんじゃないのか?真意はなんだ?という感じになるかもしれない。というか、十中八九なると思う。これは、まさに”暗記”と”思考の持久力”の話につながってくる。
「1、段を低くする」のは、暗記に似ている。
例えば、九九。習いたてのころは、「しく(4×9)?」「うーんと、、、36!」という風に、すんなりとは出てこなかったと思う。もしかしたら。手の指を使っていちいち計算していたかもしれない。
それが、暗記が習熟していく中で、パッと答えが出てくるようになる。暗記することにより、その計算に費やす労力がすんごく低くなる。そう、低くなる。
「2、1段のぼってもへっちゃら!な体力をつける」のは、思考の持久力をつけるのに似ている。
たくさん考えても、あんまり疲れない。そんな力。
ぼくが大学生・大学院生のときにお世話になった先生曰く、「高校数学には覚えることはなかった」らしい。
この言葉を聞いてただただ驚愕するばかりだが、これは、思考の持久力なる物がすごいから、”暗記”せずとも考えたら導くことができた経験から来る言葉だと思う。
持久力がすごければ、段を低くする必要はない。それよりものぼっちゃった方が早いから。
ぼくは。。。
数学を楽しく学ぶことで、前者よりも後者の力を身につけてもらいたい。「1段のぼってもへっちゃら!な体力」をつけてほしい。出会う段をすべていちいち低くしていくのは、その段はそれでよくても、違うのが出てこればまた低くする必要が合って、なんだかとっても手間に思える。
また、過去低くした経験のない段に出会ってしまえば、はじめてのときはお手上げ状態になっちゃう。
それよりも、自分でよじのぼれる力があった方が、いくらか柔軟に対応できる。
どうか数学を通じて、自力でよじのぼるたくましさを身につけて欲しい。
では、お読みいただきありがとうございました。