育て、ふくらませて、凝縮する



メモには幾つかの種類があります。何かしら思いついて、それを書きとめた「着想」、やることを思い出して、あるいは依頼されて、忘れないように書いておいた「タスク」、忘れちゃいけないことを書き記しておいた「記録」、、、などなど、分類しようとおもえば、幾種類にも分類していくことができます。

そんなメモの数々を、ぼくはもっぱら5×3情報カードで、あるいはiPhoneの「Textwell」を利用し、「Daedalus Touch」に保管しています。

着想メモ置き場に「Daedalus Touch」 カードっぽさがいい感じ

その幾種類ものメモのうち、「着想」についてどうしていこうかな、というお話です。

利用するかどうか、はっきりしない「着想」メモ

「タスク」を書いたメモは、実行日に見返すようにしておく必要があります。「記録」の書かれたメモも、「あれ、なんやったけなぁ」というときに参照されます。では、「着想」メモはどうなのか。「こういうときに見返す必要がある!」ってときが、「こんな風に利用されなければいけない」って場合があるでしょうか。

「着想」メモは、その瞬間に思いついたアイデアの種みたいなものです。でもそれは、ほかのメモと違い、あとあとどう利用されるのかが不確かなメモ、と言えます。ほかのメモは、見返す必要性があるからこそメモするわけですが、「着想」メモは書きっぱなしでも問題ない、見返さなくてもどうってことないメモである、という点で、他とは大きく違っています。

見返す必要がないので、こっちから見返す機会をもうけなければ、埋れていくばかり、ということになります。

イデアの種である「着想」は、見返す機会をもうけておき、その種を育てていかなければ。利用するかどうか、はっきりしない「着想」メモは、「利用してやろう!」と思って、育てていかなければ、あまり意味を持ちません。

育て、ふくらませる

「着想」メモに関しては、最低でも一週間に一度は、見返すようにしています。書き溜めた着想のなかで、「お!これについてもっと考えてみたいなぁ」と思ったものに関して、実際にじっくり考えていくことにしています。メタノート的な運用と言えるでしょうか。

着想メモを育てるのは、A4またはそれ以上の大きめの紙の上です。あれこれ考えるときは、大きい、スペースの広い、紙を使うのが、ぼくにとっては一番です。

思いつくことをじゃんじゃん書き足していき、関連を矢印でつないだり、大事そうなところはぐるぐるとまるで囲んだりしながら、着想を育て、ふくらませていきます。この時間は、なかなか楽しい時間です。ときには、A4の大きさではおさまらず、2枚も3枚も書くときもあったりします。

A4の紙を用いて、着想を育て、ふくらませたらそれでおしまいか、というと、そこからもう一手間をかけるように心がけています。

凝縮する

文章を書くときの作法として、よく挙げられるのが、はじめは書いて書いて書きまくって、あとから読み返し、そぎ落としていったほうが、表現の洗練された文章ができあがる、ということ。

書いて書いてふくらませて、削ぎ落としていく。これと同じことを、育てた着想に対しても行うわけです。育てた着想をまた見返し、不必要な部分を削ぎ落とし、要点をしぼりだし、ぎゅっと凝縮していくわけです。

着想を育てる際は、大きな紙の上であれこれ書き付けていったわけですが、凝縮する際は、今度は小さな紙にぎゅっとまとめていきます。ぼくは、A6の情報カードを利用しています。小さな紙にぎゅっとまとまっているほうが、育てたアイデアはあとから利用しやすくなっていると思うんです。より、人にわかる形で提出しやすくなっていると思うんです。

自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていくという行為が、いわゆる知的生産ではないかな、と考えています。

おわりに

あれこれ考える、という行為は、なんともいえない楽しさがあります。このブログも、あれこれ考えながら書き進めています。考えていると、自分でも思いもよらなかった結論に至ったり、考えが浮かんできたりで、それが楽しいんですね。

脳みそというのは、なんのきっかけもなしに、勝手にじっくり考えてくれるもんではありません。「考える時間」というのは、意識的にとっていかないと。

なかなかに楽しい考えるという行為ですが、脳みそを使うのは同時に疲れもします。でも、その疲れは、大きな充実感も伴うこともまた事実。できるだけ多くの時間を、あれこれ考える時間に費やしていきたいものだな、と思います。

では、お読みいただきありがとうございました。