自分個人の整理方法を 〜「「超」整理法」を読んで考えたこと〜
IMG_1072 by choiyaki
物はすぐに手に入り、情報は頼んでなくても次々に飛び込んでくる。そんな、情報も物もあふれる環境では、「整理」がものすごく重要な意味合いを持ちます。
日頃から、物も情報もできるだけ選び抜き、自分に必要な物だけを、と思って生活していても、おかまいなしに増えていくもの。かといってすべての情報や物をシャットダウンすることなんてできるわけもなく、さらにはメモや資料など、必要な物はしっかりととっておく必要があるわけです。
考えてみると、必要な物はおいておき、取り出せる状況を保っておくってのは、なかなかに難易度の高いミッションではないか、と思えてきます。さらには、そのミッションにかけることのできる時間も非常に限られています。整理にばかり時間を費やしていくことなどできません。
「整理のための整理法」ではなく、「整理より重要な仕事を持っている人の整理法」が必要なのである。
限られている時間の中でミッションをクリアしていくためにも、整理するための道具_物ではなく知識や技能_を身につけておく必要があると感じます。あとから必要になる、活用したい情報が埋もれていってしまわないように。
脱・分類
「整理」ときくと、「どのように分類すべきか?」を考えるのが常だと思います。でも決して、「整理」=「分類」ではないはず。
資料が乱雑に机の上に散らかっていて、必要なものをなかなかみつけることができない。この状況は、整理されていない状況でしょう。では、分類して、棚に整然と、キレイに資料が並んでいる。これは、整理されている、と言える、のでしょうか。
「知的生産の技術」では、整理についてこんなことが書かれています。
整理というのは、ちらばっているものを目ざわりにならないように、きれいにかたづけることではない。それはむしろ整頓というべきであろう。ものごとがよく整理されているというのは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐにとりだせるようになっている、ということだとおもう。
整理されている、とは、必要なものを、必要なときに取り出すことができる状態に整えておくこと。さらに加えると、その整理は、手間をかけずに行うことが望ましいに決まっています。
必要なものが必要なときにすぐにとりだせるような、それでいて整理自体は簡単で、できるだけ手間のないもの。「整理より重要な仕事を持っている人の整理法」こそが、求められる整理法、ということになります。
その一つの解として、本書「「超」整理法」では、「押し出しファイリング」という手法が紹介されています。これは、すごく有名な方法で、ご存知の方も多いのではないでしょうか。実際、本書を読むまえから、ぼくも「押し出しファイリング」については知っていました。
すごーくざっくり言うと、「押し出しファイリング」とは、「まとめて封筒に入れといて、時間順に並べておく」というもの。使った物、新たに加える物は必ず左側、と決めておくことで、最近使った・加わった資料にすぐアクセスすることができるシステムになっています。
少し古い資料に対しても、"時間"という検索軸を利用して、左から順に探していき、目当ての資料を見つけていきます。
分類を、しない。脱・分類。これぞ、「整理より重要な仕事を持っている人の整理法」であり、アクセスまでの時間は多少かかったとしても「必要なものが必要なときにとりだせるようになっている」状況、と言えます。
押し出しファイリングが絶対、ではない
本書では、「押し出しファイリング」の他にも、図書館方式や、百科事典方式など、いくつかの整理法が登場します。それらと「超整理法」である「押し出しファイリング」を比べ、各整理法の得手、不得手を明らかにしていきます。
各整理法の手間や検索スピード、秩序は保たれるのか、など、いくつかの視点から分析されているため、どんな人にはどの整理方法が向いているかがとても明確になっていきます。
ここでは、「だから超整理法が良いんだよ」と主張しているのではなく、「自分に合った方法はどれだろうか?」と問いかけてくれています。しかも、各整理法の得手、不得手を表にまとめ、簡単に把握できるようにしてくれながら。
押し出しファイリングが優れているのは、簡単手間がなく、必要なものが必要なときにとりだせるようになっている。資料を共有したり、という役目には向いていませんが、自分個人のシステムとしては、やはり優れているな、と感じます。
優れていると感じますが、それをそのまま適応できる人の方が、今では少なくなってきているのもまた事実でしょう。本書、「「超」整理法」が出版されたのは、1993年。今はそのころと比べると、情報の量や、情報が乗っかっている媒体が大きく変わってきています。まだ紙ベースの資料はあるとは言え、その多くはデータにとって変わっていっています。一人の人が触れる情報の量も、格段に増えています。現在の状況に見合った整理法を考える必要があります。
そんなときに、考えるヒントとなってくれるのが、紙なのか、データであるのかにかかわらず、整理する際の問題となってくるところ。本書に登場する、「こうもり問題」や「君の名はシンドローム」と言った、分類の際に必ず超えなければいけない問題は、これからの整理法を考える際にも、参考になることと思います。
おわりに
Evernoteは、データの情報に対して、本書で登場する「ポケットひとつの原則」を満たしてくれる存在といえます。なので、本書内の整理に対する考え方は、Evernoteを利用している方には大いに参考になるのではないか、と感じました。
ぼく自身もその一人です。Evernoteに蓄積されている、膨大な量の情報をどう整理し、あとから活用できる状態を保つのか、それを、どう手間を少なく続けていくのか、考えていきたいな、と思います。
では、お読みいただきありがとうございました。