楽しむためには、余裕が必要
ブログを書き始めてはや3年。いつの間にやらこんなにも時間が経ってて、こんな長くブログを続けることができてるのに驚いてます。
ブログを始めた当初は、もうそりゃあドキドキでした。一記事目なんて、プッチンプリンをプッチンしたとき級に手ぇプルプル震えながら更新ボタンを押しましたし、初めて自分の記事が他の方に取り上げていただいた時には、心臓が飛び跳ねるほどビックリドキドキし、食い入るようにその記事を読みました。
3年経ったいまは、はじめた当初のようなドキドキはなくなり、更新に対する心理的な抵抗もなく、余裕を持ってブログを更新することができています。
余裕を持って更新できるようになったのは、ブログをはじめて半年ほど経ったころでしょうか。それから今まで更新することができているのは、ブログを書くことが楽しいからに他なりません。
開始した当初は楽しむどころではありませんでしたが、肩の力が抜けた頃からは好きに楽しく更新できているように思います。
そう、楽しむためには、"余裕"が必要なんですよね。
いっぱいいっぱいやのに、楽しんでられっか!
この夏、ぼくは生徒に、運動会で披露する演技の指導をしました。そのテーマが、「陽気で楽しい高校生活を、ダンスで表現する」というもの。みんなにダンスを覚えてもらうわけですが、指導の最中に何度も「楽しんで!」「笑顔で!」という声をかけました。楽しみながら演技を、ダンスを覚えていって欲しい。そんな気持ちからです。
でも、みんなの顔は引きつったまま。笑顔で踊るなんて程遠い。そんな状況が、本番直前まで続きました。
今考えたらそりゃそうです。練習中は、ダンスの動きを覚えるので必死。いっぱいいっぱい。そんな中、楽しめという方が無理です。楽しむ余裕なんて、あるわけない。
だからみんなの顔は、動きを覚えて、全体の流れを把握し、少し余裕ができた本番直前まで引きつったままだったんだなと、今となっては思います。
数学も、そうなんやろうな
余裕ができるまでって、結構大変なもんです。はじめたばかりのときはいっぱいいっぱいなことが多く、楽しむどころではないでしょう。自分自身で、「なかなか出来てきたかも」みたいな感触がないうちは、必死です。
例にもれず、数学もそう。楽しむってところまでいくのに時間がかかる。理解するのに必死だから。時には、理解できずじまいに終わることも。そんな状態で楽しめ、なんて言われても、無理があるってもんです。
自分で楽しむところまでいかなくとも、教えられて、それを理解する楽しみもあります。まずは、理解する楽しみを知ってもらい、それを「なかなか出来てきたかも」ってな感覚につなげ、自分で数学を楽しむ余裕を持てるようにもっていく。
数学の楽しみ方って、いろいろあると思います。それを感じることのできるくらいの余裕を持ってもらいたいな。そんな風に思います。
理解する楽しみを、考えて解決する楽しみへ。論理を組み立てる楽しみへ。
おわりに
楽しむことができているとき、心に幾ばくかの余裕ってあると思います。心に余裕を、ゆとりをもって、日々過ごしたいな。そんな風に思います。人生も楽しいものにしたいから。
では、お読みいただきありがとうございました。