数学の楽しみ方なんて、1つに決まるものじゃない【書評】計算しない数学、計算する数学

カメラロール-1824
大学では数学を専攻していたぶん、他の人に比べて数学好きの友達が多少なりとも多い。そこで感じていたことは、同じ数学好きでもそれぞれ好きなポイントは違う、ということ。それについの話題は尽きない。話出せば自然と議論が巻き起こり、とてもいい刺激になる。
本書は「計算しない数学」を提唱する数学者:根上生也さんと、「計算する数学」の魅力を伝えるサイエンスナビゲーター:桜井進さんの対談を収めたもの。もちろんどちらも数学好きで、その魅力を
広げたいという気持ち共通しているものの、かたや「計算しない数学」、かたや「計算する数学」。この対立的な構造が、話を深く広げていく。

数学に対する先入観

みなさんの数学に対する先入観を転覆させたいわけですよ。
問題を解かなければ、必死で計算しなければ、ただ難しいだけ、役に立たない…数学に対する先入観というのは多くある。そういうものをぶち壊したいとはぼくも常々思っている。それは、学校教育に縛られたままでは、なかなか、いや、すんごく困難の伴うことであると思う。でも、お二方同様、ぶち壊したいという気持ちは常に持ち続けたい。

数学好きを増やすために

僕は予備校で教えているわけですが、高校生というのはある程度大人になってしまっている。現実的に何かを変えていくことはひどく難しい。それでも私の信条としては、数学をもっと好きになってもらいたい。さらにいうならば、数学の価値認識ー数学の力ーにオルタナティブをもたせたいということです。また、自発的に勉強ができる子になってもらいたいといった意欲は常に心がけている。
数学を好きになってもらいたい、自発的に勉強ができる子になってもらいたい。というか、自発的に勉強できるようになるためには、数学を楽しむことが必要不可欠であると感じる。楽しくもないものを「やりたい」とは思わない。
数学を勉強することで得る力というのは大きいと確信しているが、そもそも学んでもらわないことには始まらない。そのためにも教える立場にある者ができることは、数学の”楽しさを伝える”ことだと思う。

学校の先生はサイエンスナビゲーターであれ

サイエンスナビゲーターをたくさんつくらなければいけない。本来は、学校の先生がサイエンスナビゲーターじゃなくてはいけないと僕は思う。
サイエンスナビゲーターとは、数学の楽しさや美しさを伝える職業。それって本来の学校の先生のあるべき姿ではないのか。「楽しそうに教えて欲しい」という要求は、学ぶ者の中には必ずある。つまらなさそうに教えてもらって、誰がその教科を好きになるだろうか。
幸か不幸か、ぼくは学校では数学を楽しそうに教える先生には出会うことができなかった。ぼくは予備校の先生に数学の楽しさを教えてもらった。この出会いがあったからこそ、今の自分があるわけだが、そんな出会いを”学校”という最も身近な場で実現させていきたいという思いがある。このブログを続ける1つの理由でもある。数学を楽しむ先生方がスクラムを組んで次の数学好きを育て、その子たちが将来また数学の面白さを伝えていく。そんな素晴らしい循環が起これば、数学という教科はもっともっと愛されるものになるのではないかな、と思ったりしている。

おわりに

”数学”にはいろんな姿がある。著者のお二方もそれぞれ全然違う数学の面白さ、楽しさを伝えようとしているし、それはぼくの楽しみ方ともまた異なる。でもそれでいい、それがいい。数学好きそれぞれが数学の違う面を伝えることで、そのどれか1つでもいいから、学ぶ者の心に響いて数学を好きになってもらえれば、それで万々歳だ。だからぼくはぼくの数学を、精一杯伝えて行こうと思う。
では、お読みいただきありがとうございました。

Twitterボタン

Add to Google RSS