「断捨離」の「捨」!〜「不思議なくらい心がスーッとする断捨離」を読んで学んだこと〜

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片づけがすこぶる苦手です。部屋は基本笑えないレベルにちらかってます。ほんとにときどき「どうりゃー!」と片付けるのですが、がんばってキレイにしてもすぐごちゃごちゃに。気づけばまた散らかった部屋に元通り。そしてまた片づけが億劫になり、散らかりっぱなしという有様に。

そんな片付けられない自分を、片付かない部屋を「変えたい」という気持ちは、心の片隅にはずっと持っていました。なかなか行動に移すことができていませんでしたが、有名な「断捨離」本が文庫化していて、お手頃価格で手に入れることができるようになっていたので、試しに買いました。そして決意しました。断捨離を。

片付かなくて当たり前

自分の部屋が片づかないのは、単に”管理できる量以上のモノがある”から。
元来めんどうくさがりで、管理すること自体がへたくそなぼく。なのに部屋は大量のモノで溢れて、しまう場所もないほど。こんなんでは片付かない、片付いた状態を保てるわけもありません。

まずはモノを減らしていかないことには、きれいな部屋を手に入れることはできそうにもありません。
「断」=いらないモノが入ってくるのを断つ

「捨」家に溜まったガラクタを捨てる

「離」モノに対する執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる

自分が管理できるレベルまでモノを”捨”てて、減らす。まずは断捨離の「捨」からはじめていく必要がありそうです。

というわけで、「捨」→「断」→「離」と全三回にてお送りする『「不思議なくらい心がスーッとする断捨離」から学んだこと』。スタートです。

「使えるけど、使わない」なら意味がない

部屋を見渡すと「確かに使えるんだけど、実際にはまったく使ってないなぁー」とううモノだらけ。懐かしのファミコンスーファミ、プレステはまったくやらなくなってほこりかぶりっぱなし。大学のときに買わされた教科書は、それ以来一度も開かれることのないまま棚に立てかけられています。ボールペンに至っては、やたらと数があるものの何年も使わないまま机の引き出しの一角を選挙したりしています。

どれも確かに使おうと思えば「使える」モノたちです。だから捨てない。でもそれじゃダメ。捨てる、手放す基準は、「使えるか/使えないか」ではなく、「使うか/使わないか」です。
「今の自分」にとって必要・適切・快適だと思うモノは残す。
「今の自分」にとって不要・不適・不快だと思うモノは捨てる。
”今”という軸を大切にし、今使う「必要・適切・快適」なモノだけに絞っていくことが大切です。「なくても困らない」ということは、ココにいなくてもいいということ。
断捨離によってモノを捨てるのは、住まいの中から...自分にとってお役目の終わったモノを始末したり、必要とされる場や人のもとで生き返らせたりすることです。

モノの美しさ

捨てる、もしくは譲るなどして、その”モノ”が本来あるべきところへ戻してあげなければいけません。
モノは使ってこそ

モノは、今この時、必要とされるところへ

モノは、あるべきところにあって、美しい
「使わない=あるべきところにはない」ということ。これは美しくない。「捨てるなんてもったいない」と感じるかもしれませんが、机の引き出しやタンスの隅で放っておかれているということは、モノが自分の本来の役目を果たすことができていないということ。そのほうがモノにとってはよっぽど不幸です。今の自分に不要だということは、そのモノの役目は終わったということ。あるべきところへ返すためにも、「えいやっ!!」といきましょう。

とはいえ、捨てることにはどうやら”慣れ”が必要そうです。はじめは捨てることに対する心理的ハードルが低いものから処分していくほうが良いと思います。

おわりに

自分自身、本書を読むことで、”捨てる”ことに対する意識がかなり変わりました。今、部屋を断捨離中ですが、かなりじゃんじゃんモノを処分していくことができています。あまりに調子に乗って捨てすぎて、必要なカードまで捨ててしまって再発行が必要になったりと、なんだか余計な手間まで増えてしまったりしていますが。。。

では、明日は「断」についてです。お読みいただきありがとうございました。



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