料理のレシピと暗記数学

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先日、奥さんが体調不良でダウンするという、家にとっては一大事がおこった。

体調が悪くなり、お布団にダイブしたのが夕方。そう、晩ご飯が目前に迫った時間帯に。

晩ご飯は完全に奥さんがつくるので、体調不良でダウンするとたちまち困ってしまう。オロオロすることになる。

さて、どうしたもんか。寝ている奥さんを置いて食べにいくのもよろしくないし、なんか買うのもめんどうくさい。かといって、ぼくは柿の皮をむこうとしたとたん指を2本切ってしまうほど、料理はあんましできない。

でも、いっちょ料理してみましょうか、ということになった。

”レシピ”を見ながら料理をしてて感じたこと

つくるのは「しょうが焼き」。大好物で、しかもあんまし、というか全然包丁を使わずに済む。豚肉に味つけをして焼いておしまいのお手軽さ。おかず一品のみで満足できるたちなので、野菜もなにも添えず、しょうが焼きのみつくってごはんをかきこもうということに。

家にあるレシピ本を確認しながら、調味料をまぜていく。醤油・みりん・酒・しょうが。

ただそこに書かれているので混ぜていく。で、思う。

「なんで”酒”っていれるんやろう?」

料理なんてほとんどしたことないので、当然細かいところはなんにもわからない。みりんを入れるとどうなるのか、なぜ酒をいれるのか。しいて答えを挙げるとすると、「なんでも。本に書かれているから。」

ここで思った。数学を教えているときに、生徒に「なぜ?」を問うと、答えとしてよく返ってきたのが「なんでも」「答えがそうやったから」やったな、と。

料理のレシピと暗記数学は、構図としてよく似ている。

料理のレシピと暗記数学

暗記数学とは、数学の問題を、解法を覚えることで解けるようにしていく、というスタンスでの勉強法。

解法を覚えてしまいさえすれば、その問題については解けるようになり、即効性がある。ただ、解法を覚えた問題以外への応用力に欠ける部分がある。

料理でもそう、だと思う。料理あんましできないんであくまでも推測だけども。

レシピを見て、それを覚えさえすればその料理についてはつくることができるようになる。けども、みりんの役割や、酒を入れる理由などを知らなければ、ただレシピに書いてあることをできるようになるだけで、応用までには至らない。

もし、みりんや酒の役割まで理解した上で料理をつくることができれば、どんなときに酒が必要なのか。入れるとおいしくなるのかがわかっているので、他の料理をつくっているときにも応用できる。そのほうが料理の腕もあがってきそうだし、レシピを見る目も変わってくる。「なるほど、ここで酒を入れるのは、こういう理由やからやな」という風に、確認して進むことができる。

料理においては、ただレシピを覚えるよりも、なぜそれを使うのかまで理解していた方が、楽しいような気がする。

ぼくは、数学に置いてもそう思う。

ただ答えを暗記するよりも、式変形や論の展開の一つひとつまで理解しながら進み、「なぜそうするのか?」を租借しておいた方が、広く応用が利くし、見たことのない問題に向かっていく力もつく。

見たこともない問題を自力で解くことができたときの喜びは、すばらしい。

そういう喜び、楽しさを、知って欲しい。

おわりに

はてさて、しょうが焼きの出来栄えはというと、レシピが優れていたためか、おいしくできた。ただ、見た目は茶色一色のひどいものだったが。

いつもいつも奥さんがダウンしているわけではないので、料理をつくる機会はほとんどない。けれども、次またつくるときがあれば、レシピに書かれていることの一つひとつに「なぜ?」を投げかけ、調べ、理解してみようかなと思ったりする。

まぁでも極力は料理はしたくないけれども。手ぇ切りたくないし。

では、お読みいただきありがとうございました。


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