「そういうもの」のうちのひとつについて
長いこと、それこそ何年も何十年もずっと好きなことって、誰しもそんなに多くはないと思います。
時期ごとに熱中したものはあれど、どこかで飽きるというか、熱が冷めるもんです。
でも、中には、何年も何十年もずーっと好きでいられることがあったりします。
ずっと好きなことに出会うと、それは生活にしみわたり、それにふれるために時間をつくったり、日々の活力になったり。
それなしの人生は、ちょっとイメージしがたいくらいになります。
そういうものに出会うことができるのは、幸せなんちゃうかなぁ。
そんな風に思います。
ぼくにとって数学や本を読むことが「そういうもの」にあたります。
今回は数学について、ちょっと書きたいと思います。
いつから数学が好きなのか、と考えてみると、小学校のころにさかのぼります。
先生:じゃあ、算数ドリルの27ページを開いて、そのページの問題を解きましょう。
解けた人は先生に持ってきてねー。
いつものように、はやく全問正解した5人には、先生の代わりに「マルつけ先生」をやってもらいますからね。
ぼく:(よしゃ!今日もはやく問題解いて、マルつけ先生しよう!)
ぼくは一生懸命に問題を解き、「マルつけ先生」の役をゲットし、はりきって友だちのドリルのマルつけをしていました。
そろばんを習っていたこともあってか、みんなよりも計算をすばやくおこなうことができていました。
計算問題がササッと「できる」ことがうれしく、「マルつけ先生」になれるのが楽しかった小学校のころ。
算数が、少し好きでした。
小学校でのこの経験は、ぼくの中の大切な思い出の一つとなっています。
そして、そこからちょくちょく、数学はぼくに、強烈に印象に残る出来事を与えてくれます。
■
中学生のころ。
週に3日ほど塾に通っていたおかげもあってか、数学、理科、英語がまずまず得意でした。
ある日の塾での出来事を、すごく鮮明に覚えています。
先生:ノートに5cmの長さの線分をかきましょう。
みんなかけた?
じゃあここで問題です。
その線分から、2cmの距離にある点がえがく図形をかいてみましょう。
ぼく:まず線分の両側に同じ長さの線分を平行にかいて。。。
・・・
先生:おぉ、すごいな。これ、正解です。みんな、ちょっとこれ見てみて。
先生、これまで塾で教えてきたけど、正確に作図できてたのはキミがはじめてやわ。すごいすごい。
今考えれば、先生の「キミがはじめて」という言葉は、ほんとうかどうか実際のところはわかりません。
でも、ぼくは、自分で考えて、定規とコンパスを使って図をかき、それが正解であったことがむちゃくちゃうれしかった。
しかも先生に「キミがはじめて」と言われたことも、すごく誇らしかった。
考え、自分の答えを出し、それを強烈にほめてもらえた経験は、おそらくずーっと忘れないことと思います。
■
高校に進学し、数学がとたんに難しく感じるようになりました。
定期テストの前だけ必至こいて勉強し、なんとか赤点をまぬがれるように乗り切る。
そんな風にして、いつしか高校3年生。
大学進学のため、これまでの人生で最も勉強に励む時期に入ります。
理系クラスに進学したものの、中学まで好きだった数学は、難しくてなかなか身につかず、好きという風に感じなくなっていました。
そのころ好きだったのは、化学と物理だったでしょうか。
中学までは、数学を、問題の解き方を暗記することで対応していました。
それでなんとかなっていたんです。
けれども、高校では学ぶ内容がすごく多くなり、解き方の暗記では、自分の中に吸収しきれなくなってしまいました。
これが、数学から気持ちがはなれた原因だと思います。
でも、いくつかの出来事によって、またぼくは数学にグググッと惹きつけられていきます。
その中でも特に印象的なのは、高校3年になってからの、予備校での授業でした。
ぼくが教わった先生は、
- 解き方の暗記ではなく、「なぜ?」を考えること。
について、熱く伝えてくれました。
なぜそう考えるのか?なぜそう進むのか?なぜそう扱っていくのか?
数学は、その「なぜ?」に必ず答えてくれる。
やみくもに問題を解くのではない。
やみくもに式変形するのではない。
条件と求めるものを明確にし、一歩一歩求めるものに向かって進んでいく。
解き方を暗記する数学から、考えて進む数学へ、180°転換した瞬間でした。
そして、その先生が教えてくれたことは、今のぼくの中に、深く深く根付いています。
■
予備校の先生の教えのもと、無事大学に合格できたわけですが、大学に入ってすぐに打ちのめされます。
どれもが難しく、いまひとつわからない。
それでもなんとか単位をとりつつ、3回生からはゼミがはじまりました。
あえて、ぼくのいる学部で一番厳しい先生のゼミに入り、必至こいて勉強し始めました。
ゼミの形式は、教科書を理解し、ゼミにて90分間先生に対して、何も見ずに理解した内容を解説する、というもの。
内容を理解し、頭に叩き込んでゼミにのぞまなければいけません。
少しでも理解が不十分であれば、解説の際にすぐに先生に見抜かれてしまいます。
苦労しながらも、同じゼミの友だちと協力し合いながら、なんとか教科書を読み進めていました。
ある日、勉強していて、どうしてもわからない部分にぶつかりました。
いくら考えてもわからない。
しかも、たった3行の記述について、どうしても理解することができないんです。
考えても考えてもしっくりこない。意味がとれない。後の内容につながっていかない。
その部分について、ずーっと考えました。
先生に質問することもできたのですが、そうしませんでした。
ある程度自分で考えると、躍起になって、どうにかこの部分を自分の力で理解したい、という気持ちになります。
だから、すっと考えました。
文字通り三日三晩考えました。
そしてその瞬間が訪れました。
「なるほど!そういうことか!」
この瞬間。すべてがつながる瞬間。理解できた!と確信する瞬間です。
そんなこんなで、今もまだ数学をちまちまと学んでいます。
大学生の時のこの体験、三日三晩考え、自分で理解できた体験がなかったら、もしかしたら今はもう数学を学び続けていなかったかもしれません。
それほどに強烈な体験でした。
長いこと、それこそ何年も何十年もずっと好きなことって、誰しもそんなに多くはないと思います。
でも、中には、何年も何十年もずーっと好きでいられることがあったりします。
それなしの人生は、ちょっとイメージしがたいくらいの。
そういうものに出会うことができるのは、幸せなことだと思います。
ぼくにとって数学は、「そういうもの」です。
だから、今もまだ数学を学び続けていますし、そんな数学の魅力を伝えたいと思っています。
ぼくが数学について語り、伝えていくことで、ちょっとでも数学が好きになったり、興味を持ってもらえるように。
究極は、ほかの誰かにとっても数学が「そういうもの」になってくれるように。
ずーっとそこを目指して、生きていきたいものです。
では、お読みいただきありがとうございました。
マインドマップもどきで、内容と構成を固定させる
過去、ブログを書くときには、必ず一度マインドマップもどき(自己流のマインドマップなので、そう呼ぶことにします)を描き、本文を作成し始めていました。
マインドマップもどきの役割は、頭の中で漠然としている「これについて書こうかなぁ」というのを、はっきりさせるというもの。
中心に何に、今回の主題について書き、そこから枝を伸ばすことで、頭のなかにあった漠然としたブログの内容を書きだしていき、さらに内容をふくらませ、ブログに書く文章の主要な要素になり得る部分を書き加えていく。
なので、たいがい中心に一番近い位置に書かれていることが見出しになり、そこから伸びている枝に書かれていることが、その見出しに対する本文になるわけです。
これって、エントリのアウトラインを作成しているということにほかなりません。
そして、マインドマップもどきは、描いてしまえば自由に変更はできません。
固定されたアウトラインを作成している、ということになります。
ってことは、マインドマップもどきは、「内容を膨らませる」役割と、「アウトラインを作成し、固定する」役割を担ってくれていた、ということになります。
自由であるがゆえ
ブログを書くときに使っているのは、アウトライナーであるWorkFlowyです。
ここに、思いついたメモなどをすべてほうり込んでおき、そこからブログのエントリを書いていってます。
メモ置場としてのアウトライナー - iPhoneと本と数学となんやかんやと
アウトライナーはとても手に馴染むツールです。
メモ置場を担ってもらっていますし、今では、ブログの文章作成の際にもアウトライナーを使っています。
なので、アウトライナーを使ってブログを書くようになってから、マインドマップもどきは描かなくなりました。
メモを書き付け、内容を膨らませ、文章を書き、仕上げるというすべての行為を、アウトライナー上で行うようになっていました。
でも、最近気づきました。アウトライナーやと、完成まで持っていくのになかなか時間かかるな、と。
アウトライナーに書き記した文章たちは、とても自由にトピック間を移動することができます。
ただ、自由であるがゆえの難しさを感じるときもあり、ぼくはその自由さから、なかなかブログのエントリを完成させることができない状況に陥りました。
アウトライナーを使って、考える〜「アウトライン・プロッセッシング入門」を読んで、学び、考えたこと〜 - iPhoneと本と数学となんやかんやと
たくさんの文章の集まりで、大きな塊を作り出すわけですが、一つ一つの文章は、とても自由で、明確に「ここだ!」と定まっていません。
いつでも移動できてしまいます。
となると、なかなか「これで完成だ!」って断言することができない。
ずるずると手を加え続けてしまったりするわけです。
難しさは、アウトライナーに書き付けた文章たちは、とても自由であるがゆえに、いつまでも固定させるできないところ。
いつまでも文章を組み替えて、なかなか内容が定まらないので、ブログを書き切ることがなっかなかできない。
そこで、「あ、マインドマップもどきが使えるんじゃね?」とひらめきました。
マインドマップもどきで、内容と構成を固定する
これまでアウトライナーのみで完結させていた「ブログを書く」という作業の途中で、マインドマップもどきをかますことにしました。
これまでの書き方はこんな感じです。
蓄積されているメモを見返しながら、ブログの内容を定める
メモを見返し、使えそうなものを集める
メモたちを眺めながら、順番を入れ替えながら、構成を考える
書き始める
読み返し、順番を考える
4,5を繰り返しつつ、文章を完成に近づけていってました。が、前述のように、なかなか内容や構成が固まらないことが多かったわけです。
3と4の間に、マインドマップもどきをかませることにしました。
蓄積されているメモを見返しながら、ブログの内容を定める
メモを見返し、使えそうなものを集める
メモたちを眺めながら、順番を入れ替えながら、構成を考える
マインドマップもどきを描き、内容を膨らませ、構成を固定させる
書き始める
読み返し、順番を考える
「書き始める」「読み返し、順番を考える」という最後の2ステップは変わらず行うわけですが、4のマインドマップもどきで内容と流れがほぼほぼ固まっているので、完成させやすくなりました。
ただ、勢いで最後までだぁーっと書ききってしまえることもたまにはあるので、必要に応じてマインドマップもどきにお世話になる、という形でやっていきたいな、と思います。
おわりに
アウトライナーを使うようになり、マインドマップを描かずにブログを仕上げるようになってました。
はじめは、もうマインドマップもどきを描く必要はないかなぁ、と思っていたのですが、これまでとは少しだけ違う役割で、またお世話になることになりそうです。
アウトライナーは便利で、使い勝手が良く、ついついこれに全部任せちゃおうと思いがちですが、アウトライナーにも苦手とする部分はあるわけで。
使うツールを増やすのはあまり好きではありませんが、必要に応じて使っていくことで、お互いの長所を活かしつつ、いいものを作っていければな、と思います。
ちなみに、今回のエントリでは、マインドマップもどきを描くことなく、文章を完成させることができました。
これは、Tak.さんとのTwitterでのやりとりで、ほぼほぼ書く内容が定まっていたから。
Tak.さん、ありがとうございました。
では、お読みいただきありがとうございました。
アウトライナーを使って、考える〜「アウトライン・プロッセッシング入門」を読んで、学び、考えたこと〜
「メモの類は、すべてWorkFlowyにほうり込んでおく」という方針でずーっと管理しています。
あらゆるメモを一つのアウトライン上にずらーっと並べているわけですが、とりわけ”着想”の書かれたメモをどうしていこう?ってのが前回の最後に出てきた疑問でした。
メモ置場としてのアウトライナー - iPhoneと本と数学となんやかんやと
アウトライナーの優れているところは、メモを保管しておく場所としても柔軟であるだけでなく、そのメモたちを眺め、ときに組み合わせ、書き足し、育てていく場所としても、実はとても優れてるんです。
アウトライナーは、”思考のOS”となり、考えることを補助してくれる。
「アウトライナーを使って、考える」際のプロセスが、ギュッと凝縮されているのが、今回紹介する、「アウトライン・プロセッシング入門」という本です。
アウトライナーに集めた着想たちを、一つの文章へと仕上げていく際に、すごく参考になる一冊でした。また、「考える」ことに対する考察も優れており、ぼくは本書からいっぱい刺激をうけました。
シンプルであるがゆえ
「考える」とき、よく使うツールは何でしょうか。手に馴染んでいる道具はなんでしょうか。ぼくの場合は、「紙とペン」です。授業の内容を考える際も、それをまとめておくのも紙。数学の勉強をする時にも、紙とペンは欠かせません。
頭の中だけで考えるよりも、書きだしたほうがいいってのは、一度やってみると簡単に実感できることでしょう。
「紙とペン」は、ほんとうに多くの人が使っている、多くの人にとって手に馴染んだ道具です。
それは、シンプルであるがゆえ。
”書く”、あるいは”描く”ために必要最低限の道具が、紙とペンだといえます。
必要最低限のシンプルさが、決して”考える”ジャマをせず、”考える”ことを促進してくれます。
すべてのアウトライナーに共通する基本機能があります。それは「アウトライン表示の機能」、「アウトラインを折りたたむ機能」「アウトラインを組み替える機能」の三つです。
シンプルな機能の組み合わせが 、長大な文章や複雑な思考の全体像を把握し 、コントロ ールすることを助けてくれます 。考えるときに使うツールは、「紙とペン」に限らず、いろいろなものがあります。「アウトライナー」もその一つ。
そして、アウトライナーに備わる機能は、とてもシンプルなもの。アウトラインを表示し、折りたたみ、組み替えるという三つの機能のみ。
複雑すぎないがために、”考える”ときに、いちいちツールの存在を意識せずにすみます。
意識せず自然にできることにこそ意味があるのです 。複雑すぎず、シンプルであるがゆえに、手に馴染み、手に馴染むからこそ「考える」ことを手助けしてくれる。
考えるときに必要なものって、そんなに多いわけじゃないってことなんでしょう。
「アウトライン・プロセッシング」
そんな、シンプルなアウトライナーを利用して文章を書き、考えることがアウトライン・プロセッシングの定義となります。アウトライナ ーを 「アウトラインを利用して文章を書き 、考えるためのソフト 」だと定義しておきましょう 。そして 「アウトラインを利用して文章を書き 、考えること 」がアウトライン ・プロセッシングです 。アウトライン・プロセッシングでは、文章を書くことのみが目的ではありません。文章を書き、考えることが、アウトライン・プロセッシングなわけです。
そして、考えるときに大いに役立つのが、シンプルな道具であるアウトライナーと、そこに蓄積されているメモたち。
ぼくのメモの基本方針は、「完全な文章」で残しておく、ということ。
これは、「知的生産の技術」に書かれていることに倣ってのことです。
まいにちの経験のなかで、なにかの意味でこれはおもしろいとおもった現象を記述するのである.あるいは、自分の着想を記録するのである.それも、心おぼえのために、みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく、ちゃんとした文章でかくのである。未来の自分はもはや他人であるかもしれないので、メモを文章で残しておかなければ、何を意味していたのかわからなくなってしまうからです。
そして、アウトライン・プロセッシングで扱うのは、文章たち。
メモは文章で書かれているので、当然アウトライン・プロセッシングで扱うものに含めることができます。
書き集めたメモたちを利用し、考え、書く。
そのための優れたツールが、アウトライナーだと言えます。
それは、シンプルであることに加え、文章をとても自由に扱うことができるから。
アウトライナーにメモしたものは、すこぶる自由
ひとつのアウトラインに書き込まれた断片は 、どこにも従属しません 。それ故に圧倒的に自由です 。独立した文章として扱うことも 、文章の一要素として扱うこともできます 。内容は項目をまたがって移動します 。そこに壁はありません 。文章がアウトライナー上にありさえすれば、どれだけ階層化しても、メモの順序を入れ替えても、それらはいつでも別のところに移動することができます。
あくまでも、「仮のポジション」が決まるだけで、アウトライナー上の文章は、とても自由な存在です。
その自由さが、メモをこねくりまわすのんに向いてる、とぼくは感じています。
順番を組み替えたり、階層化することでグルーピングしたり、それらをいったん壊して再構築したり。
まさに、メモをカードのように操作することができる。
ということは、これまでカードに書き付けていたことを、アウトライナーに書いていこう、となるのは自然な流れなわけで。
一つだけ、ぼく自身難しく感じているのは、自由であるがゆえ、どのタイミングで大きな塊を取り出したらいいのか、なかなかつかめないところ。
アウトライナーでは、一つ一つの細かい文章たちの適切なポジションを考えつつ、全体の内容を把握しつつ、順序を入れ替えつつ、階層化しつつ、文章を書き足しつつ、大きな文章の塊を作り出すことを目的としています。
たくさんの文章の集まりで、大きな塊を作り出すわけですが、一つ一つの文章は、とても自由で、明確に「ここだ!」と定まっていません。
いつでも移動できてしまいます。
となると、なかなか「これで完成だ!」って断言することができない。
ずるずると手を加え続けてしまったりするわけです。
そこで本書で挙げられている、取り出すタイミングの基準が、「階層の深さの安定」と、「本文量のバランス」がとれてくること。
階層の深さが安定し 、本文量のバランスが取れてくると 、アウトラインとして 「完成 」に近いことが多いようです 。シンプルに表現できるということは 、それだけ自分の中での理解が進み 、展開も洗練されてきているということなのでしょう 。文章たちが、とどまるべきところってのが、ほかの文章たちによって、次第に固められていく。完全に固定はされないものの、「ここおるのがしっくりくる」ってところに落ち着いていく。
そうなると全体のふわふわ感がなくなり、整ってくる。文章たちが落ち着いたときが、大きな塊を取り出すタイミング、というわけです。
おわりに
本書は、アウトライナーという道具を利用して、書くこと、考えることを行うための、教科書になり得る存在だと、ぼくは思います。重要な概念である「シェイク」について、本エントリではあえて触れませんでした。
それは、「シェイク」の威力を知るのは、実際にアウトライナーを使い始めてからだと思うから。
アウトライナーに備わった機能はシンプルです。
また、アウトライナー上の文章は、任意のポジションに、簡単に移動させることができます。
その二点だけでも、十分に文章を書く際に役立ってくれると思います。
そして、一度アウトライナーを使って実際に文章を作成してみた後、本書を読んでみれば、アウトライナーのもつ懐の深さを、さらに感じること請け合いです。
では、お読みいただきありがとうございました。
メモ置場としてのアウトライナー
メモとぼく
日頃、メモにはほんとうにお世話になっています。「やること」の書き付けられたメモを参照しないことには、ぼくは自分の仕事を10分の1もやりとげることはできないでしょうし、今日なにをすればいいかもわからず、途方に暮れることでしょう。
ブログを書きたくても、何について書けばいいかわからず、一からネタを考えなくてはいけないでしょう。
昨日一日、いったい自分は何をして過ごしたのか、もうほとんど忘れてしまっていることでしょうし、ましてや一か月前のことなんて一切合切どこかへ消え失せていることでしょう。
それくらい、メモがなければ何にもわからなくなってしまうんです。
メモを書き、記録していくことは、ぼくが今の生活を送っていくためには、欠かせないことといえます。人生の大きな部分を担ってくれています。
人生の大きな部分を担うため、「メモをどこに保管しておくのか?」という問いは、ぼくにとって人生に直接関わってくる、とても重要な問題である、と言えます。
「”思考のOS”としてのアウトライナー」
そんな重要な問題について常に考える日々を過ごしていたある日、Tak.さんが書かれていたあるエントリに出会いました。思考の流れを阻害しないタスク管理の道具:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ
思考のOSとしてのアウトライナー、生活デザインのアプリケーション:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ
メモを、なんでもかんでも一つのアウトライン(WorkFlowy)に集約させ、保管する。やることも、やったことに対する感想も、ブログのネタになりそうなことも、その時思いついたことも、なんでもかんでも。
アウトライン上にあらゆるメモを集めておけば、それらの居場所を作ることはとても簡単です。トピックを一つ作ればいいだけだから。
また、各トピックは、アウトライン上を縦横無尽に行き来することができます。
階層を与えることでグルーピングも簡単。
そのメモが「やること」を書き付けたものなのか、着想をとらえたものなのか、行動の記録を残したものなのか、そんなことを意識せずに、一つのアウトライン上に書き足していく。なんに関するメモなのか、なんて、メモをする段階で意識せずに済む。
それは、アウトライナーに乗せてしまえば、すごく自由にメモたちを扱えるから。あとから意味なんて、なんとでも付け加えることができるから。階層構造を加えることによって。
「これぞ、求めてたメモの保管場所ちゃうか?」と感じたぼくは、この後、テキストメモのすべてを、WorkFlowyに集めていくことになりました。
メモ置場としてのアウトライナー
はじめは、着想メモだけをWorkFlowy上に書き付けていき、そのほかの、やることの書かれた「タスクメモ」や、自分の行動の記録などは、情報カードやEvernoteに書き溜めていってました。でも、前述のように、アウトライナーを”思考のOS”と認識してからは、メモの類をぜーんぶ一つのアウトライン上(WorkFlowy上)に書き溜めていくようになりました。
こういう経緯をたどったことは、ある意味必然だったように感じます。
というのも、WorkFlowyを使い始める前から、アウトライナーを使ってメモを管理することに興味を持ち始めていたからです。
理由は、デジタルで、つまりPC上やiPhone上で、メモを「情報カード」のように扱いたい、という欲求が、ずーっとあったから。
そのための方法をいろいろと考え、試し、なんかちゃうなとなってまた情報カードに戻り、を繰り返していたからです。
TextWellを、縦にながーいメモ帳として使う - iPhoneと本と数学となんやかんやと
「リマインダー」をメモ帳として使う - iPhoneと本と数学となんやかんやと
着想メモ置き場に「Daedalus Touch」 カードっぽさがいい感じ - iPhoneと本と数学となんやかんやと
「Trello」というアプリがおもしろい - iPhoneと本と数学となんやかんやと
まぁよくもこんなにいろいろ試したな、という感じですが。。。
そもそもをたどると、情報カードを使い始めたきっかけは、「知的生産の技術」です。
「知的生産の技術」を読み、実際に自分も情報カードを使ってメモを管理し出しました。
カードによるメモの管理は、”くれる”がゆえに、Evernoteに着想メモをほうり込むのではできなかった、メモどうしを組み合わせたり、順序を組み替えたりを可能にしてくれました。
メモから何かが生まれる感覚は、Evernoteのときよりも確実に増しました。でも、もっといい「メモの蓄積方法」がある気がしてなりませんでした。
情報カードに書き付けたメモは、「検索」するとなると、すべてをパラパラとめくりながら見返さなくてはいけません。
これは、メモを書いたカードが大量になってくるにつれて、やってられなくなってきます。
一方、Evernoteにほうり込んだテキストメモは、語句を入力することで、簡単に検索が可能です。
語句を入れることで検索が簡単にできる、という点は、手書きは敵うことができない、デジタルで保存しているメモ特有の優位性といえます。
そこである思い、というか、願望が、ぼくをつかんで離さなくなったんです。「デジタルで、メモを情報カードのように扱いたい」という思いが。
で、結果、WorkFlowyというものに出会い、メモの類はぜーんぶWorkFlowy上に書き溜めることになった、というわけです。
ためたメモ、どうするの?
メモ置場が定まりました。でも、メモはためてハイおしまい、ではありません。それをどうしていくのかが重要です。やることを書いたメモは、43Folders式に管理することで、毎日をうまく回すことができるようになりました。
この運用方法は、情報カードにメモを書いていた時からの手になじんだ方法です。
じゃあそれ以外の、特にブログのネタやふとした思い付きが書かれてある”着想メモ”をどう扱うのか。どう、アウトプットへとつなげていくのか。
そして、またもやぼくは、”思考のOS”を提唱されたTak.さんに、たくさんのことを教わることになるんです。ダジャレじゃありません。マジで。
特に、アウトライナーを使いながら文章を書く際に、すごく参考になる本が、Tak.さんの「アウトライン・プロセッシング入門」には書かれています。
ということで、次は、その本、「アウトライン・プロセッシング入門」について書いていきたいと思います。
では、お読みいただきありがとうございました。
「eeeBook X205TA」を買いました。
「eeeBook X205TA」とは、ASUSが出している、3万円ちょっとで買えるPCです。
スペックはそんなに良くはないみたいですが、3万円ちょっとという安さと、約980gという軽さが売りのPC。
お家のデスクには、iMacがどーん!と構えてるので、あくまでもサブ機として購入しました。
なんで買った?
これまでは、普段iPad miniを持ち歩き、ちょっとした作業をやったりしてました。でも最近、というかかなりまえから、その不便さが顕著になってきたんです。
まず、OSのバージョンを上げたことによって、動作がかなりもっさりしてきたこと。スススっと動いてくれるよう、中身をすっからかんにしたり、iCloudをオフにしたりといろいろ試したんですが、もっさり感はどうしてもぬぐえません。Evernoteも、ノートの表示に数秒間待たされるので、常用するのは厳しい感じ。
加えて、WorkFlowyのiOSアプリがちょっと使いにくいことも、不便の要因です。使っていると、どうしてもキーボードがほしくなる。外付けキーボードもいちいちペアリングが必要なので、はじめから一体になってるほうがいい。
ぼくの願いは、ほんとに単純なもの。ただただ、WorkFlowyとEvernoteの両方を快適に使いたいってだけ。
iPadをWorkFlowy専用機に〜メモに対して、今いろいろと考えていることその11〜 - iPhoneと本と数学となんやかんやとiPadをEvernote専用機として - iPhoneと本と数学となんやかんやと
でも、あれこれがんばっても、iPad miniでは実現できない、ということがわかりました。両方がiPad miniではどうあがいても使いづらい。
こりゃぁまずいなぁ、快適な作業環境がほしいなぁとなったわけです。となると、やっぱりどちらも使いやすくなるであろう、持ち運びしやすい軽量なPCがほしくなるわけで。
パッと思い浮かぶのは、MacBook Air。もしくはMacBook。いやいやいや、WorkFlowyとEvernoteさえ使えればいいのに、しかもガッシガシ持ち運んで、だいぶ荒く使うのに、Macなんてもったいない。でも、MacBook Air並みに持ち運びしやすいのんがいい。わがままなもんです。
動作が重たくなりがちなEvernoteは、メインPC以外では、サブアカウント運用しています。
Evernoteサブアカウント運用その1「運用方法とそのメリット」 - iPhoneと本と数学となんやかんやと
なので、ヘビーなメインアカウントのEvernoteをサクサク動かせる必要もない。
となると、なんでもかんでもサックサク動くような、性能の良いPCじゃなくていい。MacBookじゃなくていい。
軽量で、性能は良くなくてもその分安価なPC。その望みを叶えてくれるのが、「eeeBook X205TA」だったというわけです。3万円ちょっとは、ほんとうに魅力的です。
買ってどう?
今のところ、いい感じです。まだ買って二週間ですが、ストレスなく使えております。
980gと軽量なので、eeeBookをランニングリュックに入れて、ランニングとかもできちゃいます。
いつ壊れるかわからんので、決してオススメはできませんが、ランニングもチャリンコでも持ち運べるのは、すごくありがたい。日課にしているランニングを、毎日欠かさずするためには、通勤の時間もランニングのために活用したいので、ランニングでも持ち運べるPCの存在はとてもありがたく、貴重なんです。
もしあまりにハードに使いすぎて壊れてしまったとしても、安価であるってことと、メインがWorkFlowyとEvernoteを使うこと、なので、データ消えても大きなダメージはないかなぁと。DropBoxも合わせて利用することで、残しておきたいデータは、すべてクラウド上に保存することができるので。ただ、もしこのPCが壊れてもうたら、だいぶんヘコみますが。
おわりに
メインと違い、サブに求める機能はそんなに多くないと思います。
基本的にはメインPCでいろーんなことをいて、サブPCでは必要最低限やりたいことができればいい。
サブにはそんなに良いスペックを求めない。
そんなときには、この「eeeBook X205TA」は、とても有力な選択肢の一つになると思います。ぼくみたいに、EvernoteとWorkFlowyさえ使えればいい。そんな人には、ものすこくオススメです。
軽量なので持ち運びまくってますが、10回ほどeeeBook担いで長い距離をランニングしても、今のところ大丈夫。なかなかタフなやつです。
ランニングのお供に、eeeBookはいかかでしょうか。
では、お読みいただきありがとうございました。
疲れているときの自分の振る舞いに目を向け、省エネモードを身につける
毎日ランニングをしています。飽きもせずにコツコツと走行距離を伸ばしています。
でも、ときにはどうしてもランニングがしたくない日もあるわけで。
そんなときでも、毎日ランニングを自分の課している以上、身体に鞭打って走り始める日があります。
走り始めると案の定足がダルい、呼吸がしんどい、体が重く感じる。。。
すると、いつもとちょっと走り方を勝手に変えてる自分に気づきます。ストライドは小さめで、上半身は極力ふらず、大きな動作が少ない走り方に。
疲れてるときって、知らず知らずの間に、勝手に走り方を変えてたりするんです。
身体が勝手に省エネモードに切り替えてくれていて、だからこそいつもの距離を、走れたりします。
疲れてなかったらいつもどおり走るわけですが、疲れている時に走ったからこそ、自分の省エネな走り方に気づくことができます。
そんな風に、疲れているときにもいつもどおりの距離を走ろうとがんばることで、自分の身体がそのつかれに応じた走り方になり、その「疲れてるときの自分の振る舞い」にちょっと目を向けてみることで、自分の省エネモードを学ぶことができると思うんです。
記録が欠かせない
走るときの状態は、毎回違います。睡眠時間も十分で、身体が軽い日もあれば、前日の運動の疲れを引きずってる日も。朝早くでまだあんまり身体を動かしていなかったり、もう一日の終わりに差し掛かっていて、その日の疲れを感じていたり。
その違いは、大きいものもあれば、小さいものもあります。
自分の身体の状態を感じながら、その日どういう走りをしたのか。そんな情報が、「疲れてるときの自分の振る舞い」を知るためには必要です。
自分の疲れ具合と、その日の走りをセットで記録する。
毎回のランニングの記録をとっていれば、「疲れているときの傾向」を見ることができる、というわけです。
疲れているのはどこか、何が原因で疲れているのか、そのとき自分はどう走っていたのか、ペースはどんなもんだったのか。
その記録を見返すこと、特に疲れているときにどんな走りをしているのかを見返すことで、「疲れているときの自分の振る舞い」がわかる。「疲れているときの自分の振る舞い」がわかれば、それを普段から心がけると、省エネモードで自分を動かすことができる。
で、これはランニングに限った話ではありません。
例えば、タスク管理。
タスクに着手したくないなぁってときがあります。
よくあります。
そんなとき、どうすれば自分は着手するのか。
目を背けずに取りかかることができるのか。
しんどいときでも取りかかれる手立てはなにか。
イヤやと思っていたけど、終わってみるとすごく集中できたのはなんでか。
タスクを実行した際、1日のどの時間帯で、どんな気分で、やってみてどうだったかを記録しておくことで、疲れている、着手するのがおっくうなときの自分は、いかにタスクを消化したのかってのがわかります。
そこから、タスクの着手や実行への省エネモードも見えてくるわけです。
おわりに
疲れてても走れた、疲れててもタスクを実行できた。そういうときこそ積極的に記録をとっておき、なんで走れたのか、どういう走り方をしていたのか、タスクに着手してみてどうだったか、などの自分の傾向をつかみとり、省エネモードをさぐる。
疲れている時こそ、自分の"省エネモード"を知り、自分の特性"を知るいい機会でないか。
疲れてるのときの自分の振る舞いから省エネモードを学ぶことができれば、それを普段に適応できれば、今よりも少しでも走れるように、今よりも一つでもタスクが消化できるようになってくれるんでないかと思います。
では、お読みいただきありがとうございました。
経験を積む、ということについて
経験を積むって、良いことというか、何かを上達していくためには必要なことであるのは間違いない。でも、経験を積むのは、一歩間違うと視野がせまくなっちゃったり、考えが偏ったりすることをまねきかねない。
円を描いていく
あることについて経験していく。何度も実践をし、記録し、振り返ったりしながら、経験自分のものにしていく。イメージは、たくさんの円を描いていくイメージ。
ある実践を通して、円を描いていくことで、経験した範囲を増やしていく。
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円の中心が毎回異なれば、円が増えれば増えるほど、経験した範囲は広がっていく。
対して、円を描くと、重なる部分も出てくる。その重なりの部分が、経験を積んだ部分やとする。
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円を描けば描くほど、経験した範囲は増えていく。経験を積んだ部分は、より色濃くなっていく。色濃くなった部分に対しては、自分としてはかなりの経験を積んだ、という自負も生まれたりする。
ただ、気をつけたいのは、円を描けば描くほど、経験した範囲は増えるものの、経験を積んだ部分はどんどん狭くなっていく、ということ。
一番色濃い部分は、経験した範囲の中で、一番範囲が狭くなる。
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これを常に念頭に置いたまま、経験ってのは積み上げていかなあかんのやろう、と感じる。
色濃い部分に固執することなかれ
少し単純化し過ぎているかもしれない。けど、経験を積んだ部分は、どんどん狭くなっていってしまいかねない、というのは、気をつけるべきところ。
狭くなる、つまり視野が狭くなってしまいかねない。
経験を積むことで、思考が色濃い部分に偏り、頭がかたくなってしまうかもしれない。
経験を積み重ねることは、上達には必要。やけど、その結果招いてしまいかねない、「この分野のことはすべてわかってる」という傲慢さや、「ここはこうに違いない」という決めつけには、十分注意しなくてはいけない。
年を重ねれば重ねるほど、経験は積み重なっていく。短い、数年のスパンではそこまで頭が凝り固まることはないかもしれない。が、10年や20年単位なら、どうやろう。
ものすごく色濃くなっている部分に固執してしまわないか。
そうならないように、「円を描けば描くほど、経験した範囲は増えるものの、経験を積んだ部分はどんどん狭くなっていく」というイメージは、常に持ち続けたい。
おわりに
今回の話は、やっぱり単純化しすぎてると思う。経験値ってのは、そんな簡単に積み重なるものではないやろうし、広がるものでもない。均一にも積み重なってはいかない。
でも、経験を積めば積むほど、実は見えなくなっていってるものもあるかもしれない、ということは、常に念頭に置いておくべきことやと感じてる。
10年後、20年後になっても、常に頭のどこかでは考えていてほしいな。考えてなかったら、頭の中からなくなってしまっていたら、すごくショックかも。
では、お読みいただきありがとうございました。