「数学嫌いをなくすための二つの主張」は数学嫌いをなくせるのか【書評】数学でつまずくのはなぜか(その1)

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今まで幾冊も数学関連の本を読んで来ました。その中でも本書は最もおもしろく、最も刺激になった一冊です。

書きたいことがいくつもあるので、何回かに分けて本書について書き綴って行こうと思います。

数学を好きになってもらうために

数学を好きになって欲しい、せめて嫌いじゃなくなって欲しいと考えている方は多くいます。ぼくもその一人ですが、著者もその思いは強くあります。強く思うからこそ、数学嫌いを無くすための従来のアプローチについて、こんあことを書かれています。
こどもたちが数学を毛嫌いする風潮に対して、多くの数学者や数学教育者がそれをなんとかしたい、という思いで、いろいろな発言をしてきた。
それらの発言は、おおよそ二つの種類に分類することができる。第一は、「数学はこんなに役に立つ」ということを知らしめるもの、第二は、「数学はこんなに自由でファンタスティックなものだ」と知らしめるものだ。前者は主に数学教育者が、後者は主に数学者が主張する傾向にある。
ただ筆者には、このどちらの主張も、こどもたちが直面している「数学の忌々しさ」とはかみあっておらず、だからいつまでたってもこどもたちとの溝が埋まらないのではないか、そう思えて仕方ない。
この意見には、すごく頷いてしまいます。
ここからはあくまでもぼくの考えですが、確かに「数学はこんなに役に立つ」ことや「数学はこんなに自由でファンタスティックなものだ」を伝えることは大切です。でも、そこに終始してしまっていてはまずいのではないか、と常々思うのです。

役立つ。だからどうなのか

今のぼくたちの普段の生活は、数学なしには語ることはできません。あらゆるシーンに数学は活用されており、例をあげるとわんさか出てきます。そしてそれを知ることで、多くのこどもが持つ「数学ってなんの役に立つのか?」という疑問の解消につながります。
でも、そこには少しズレがあると思のです。
「数学ってなんの役に立つのか?」という疑問は言わば「数学を勉強するのは、自分にとってなんの役に立つのか?」ということです。社会に役立っていることを知ったとしても、「あ、
そうなんや!」という少しの驚きや感動を与えるくらいで、自分にとってなんの役に立つのかの答えにはなっていません。
■ファンタスティックも
同じように数学のファンタスティックさを伝えるだけでは学ぶ者の心をグッと惹きつけるのかなと思ったりします。「へぇー、すごいなぁ」と感じておしまい、では数学嫌いをなくすことにはなかなかつながって来ません。

どちらも「数学の楽しさ」の一面

「おおよそ二つの種類に分類することができる」と書かれているように、ぼくは二つの主張に少し偏りすぎだと感じるのです。ほかにもいっぱいあるでしょ、という思いをいつも抱いてしまいます。
■数学の実用性とファンタスティックさは、数学の楽しさの一側面でしかない
もっといろんな楽しさが数学にはあるはずです。実用性でなくても、ファンタスティックでなくてもいい。ただ「数学おもろ」「数学楽し」と感じてもらうことができれば、ぼくはなんだっていいと思っています。
数学を身近に感じてもらうために、その実用性を紹介したり、数学が明らかにしたすごいことを理解してもらったりは、その楽しさの一側面であって、それがすべてではありません。もっといろんな面を見せて数学を楽しんでもらう。それが数学嫌いをなくすことにつながると思っています。

おわりに

「楽しい数学」。これがぼくの目指すべき数学の姿であるという思いで日々少しずつ数学を学んでいます。実用性やファンタスティックさにとらわれず、数学の色んな楽しい面を探し、学び、感じ続けて行きたい。それを伝えることで、少しでも数学嫌いをなくすことに貢献していきたいなと思います。
では、お読みいただきありがとうございました。

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