"自ら考える力"とは
昨日、地下鉄御堂筋線に乗ったとき、中吊り広告に目がいきました。
学校のテストの正解は
ひとつだった。
でも、世の中に出ると
答えはひとつとはかぎらない。
今、正解のない問題に
自力で考える力を。 朝日新聞
"自ら考える力"とは?
では、「自ら考える力」とは何でしょうか。この問い自身が答えはひとつとは限りませんが、少し考えてみました。
というのも、「自ら考える力」と聞くと、ぼく自身すぐに「自ら考える力=論理的思考力」と結論づけてしまいがちです。それこそ思考停止に陥っているだけではないか、自ら考えていないのではないか、とはっとさせられたためです。
なので、今回じっくり考えていくことにします。
■「ん?」は"考える"の原点
まず、"自ら考える"ためには、そもそも「考える」という行為をスタートさせることができなければいけません。その原点となるのが「なぜだろう?」と疑問をもつことです。
物事に対し、「なぜだろう?」という疑問を持つということは、なにかしら論理的なつながりに欠ける部分や、つながりの弱い部分があるということです。
または、単純な好奇心から「これなに?」と思うときもあるでしょう。
どちらにも共通するものが「ん?」というハテナが浮かぶことです。
とにもかくにも、ちょっとした「ん?」を逃さない力が必要です。
■物事を多面的にとらえる力
そして「ん?」を逃さずとらえることで"考える"ことがスタートします。
その「ん?」と思った疑問を解消する際、自分の考えを組み立てていくことができなければいけません。
ただ、その疑問に対して自分の結論を出すことができた時点で終わりかというと、それでは不十分です。
「正解のない問題」には正解がないのですから、自分が組み立てた結論を別の側面から考えていくことをしなければ、思考停止してしまいます。
それを自分でできるのであればいいのですが、できない場合は他の方の意見を聞いてみるということも必要です。情報を収集し、他の考えに触れてみるのです。
■情報を選別する力
ただ、他の考えを鵜呑みにしてしまっては、自ら考えているとは言えません。他の方の意見を聞き、何が正しくて何が違うのかまた自分で考えるということをしなければ。
その判断の一つの基準となるのが、「論理的に正しい主張なのか」ということになります。
そうやって考え続けることが、「正解のない問題」について考えることには必要なのだと思います。
まとめ
「ん?」と疑問をもち、それに関して「これはどういうことか?」「ほんとにそうなのか?」という姿勢であれこれ他の方にも意見をききつつ考えてみる。
つまり、「自ら考える力」とは「疑問と真摯に向き合う力」であると言えるのではないでしょうか。
そうとらえてみると、自分もまだまだ「自ら考える力」は未熟であるなと反省させられます。
おわりに
人は「わかった気」になると思考が停止してしまいます。
ぼく自身「自ら考える力=論理的思考力」と簡単に結論づけて思考が停止していました。
この"思考が停止した状態"に陥らない、陥りにくくするためにも、小さな疑問にも真摯に向き合い、自ら考える力をつけていこうと思います。
では、お読みいただきありがとうございました。