未熟さの痛感は、成長のチャンス


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自分の「未熟さ」というのを、痛感するときがある。

全然うまくいかなかったり、自分の力量のなさを感じたり、できていないことばかりに目がいったり。

こういうときは、落ち込む。ヘコむ。気持ち的に沈む。

がんばっても報われないんじゃないか、やる意味ないんじゃないか、もうなんでもいいや。

そんな気持ちに、投げやりな感じになってしまうこともある。

こういうときには、冷静に今の状況をみることが大切になってくる。

立ち止まって考えると、、、

「未熟さ」は、常日頃痛烈に感じている、というわけではない。

自分にはまだ足りない部分を感じつつも、でもそれに打ちひしがれることはなく過ごしている。

「未熟さ」を感じつつも、打ちひしがれるほどではない状況。これが、普段の状況、と言える。

に対して、落ち込むほど「未熟さ」に打ちひしがれているときは、いつも以上に未熟さを感じているわけで、ヘコみ、落ち込みながらも、なんとかしたいという気持ちもいつも以上に持っている。

この、「なんとかしたい」という気持ちを、プラスのパワーに変えることができれば、「未熟さ」を痛感しているときというのは、いつも以上に成長のチャンスが秘められているんではないか。

「未熟さ」に打ちひしがれている自分を、沈んでいる自分をはねのけることができれば、自分に大きな変化を起こせるのではないか。
未熟さの痛感は、成長のチャンスではないか。

そう、思うことができた。

未熟さに打ちひしがれるたび、こう思うことができれば、そのたびに一つ、成長できる気がする。

おわりに

「未熟さ」ヘコみ、沈みながらも、「これはチャンスや、チャンスなんや」と思えた。

そう思えた自分を褒めてやろうと思うし、そう思えたんだってことを残しておきたいから、ここに書き記しておこうと思った。

未熟さの痛感は、成長のチャンス。どんと来い、自分の「未熟さ」。

では、お読みいただきありがとうございました。