未熟さの痛感は、成長のチャンス
IMG_1060 by choiyaki
自分の「未熟さ」というのを、痛感するときがある。
全然うまくいかなかったり、自分の力量のなさを感じたり、できていないことばかりに目がいったり。
こういうときは、落ち込む。ヘコむ。気持ち的に沈む。
がんばっても報われないんじゃないか、やる意味ないんじゃないか、もうなんでもいいや。
そんな気持ちに、投げやりな感じになってしまうこともある。
こういうときには、冷静に今の状況をみることが大切になってくる。
立ち止まって考えると、、、
「未熟さ」は、常日頃痛烈に感じている、というわけではない。
自分にはまだ足りない部分を感じつつも、でもそれに打ちひしがれることはなく過ごしている。
「未熟さ」を感じつつも、打ちひしがれるほどではない状況。これが、普段の状況、と言える。
に対して、落ち込むほど「未熟さ」に打ちひしがれているときは、いつも以上に未熟さを感じているわけで、ヘコみ、落ち込みながらも、なんとかしたいという気持ちもいつも以上に持っている。
この、「なんとかしたい」という気持ちを、プラスのパワーに変えることができれば、「未熟さ」を痛感しているときというのは、いつも以上に成長のチャンスが秘められているんではないか。
「未熟さ」に打ちひしがれている自分を、沈んでいる自分をはねのけることができれば、自分に大きな変化を起こせるのではないか。
未熟さの痛感は、成長のチャンスではないか。
そう、思うことができた。
未熟さに打ちひしがれるたび、こう思うことができれば、そのたびに一つ、成長できる気がする。
おわりに
「未熟さ」ヘコみ、沈みながらも、「これはチャンスや、チャンスなんや」と思えた。
そう思えた自分を褒めてやろうと思うし、そう思えたんだってことを残しておきたいから、ここに書き記しておこうと思った。
未熟さの痛感は、成長のチャンス。どんと来い、自分の「未熟さ」。
では、お読みいただきありがとうございました。